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 森下スタジオに集まった皆は、動きやすい服装に着替えていた。思い思いの稽古着を身に纏って、床に座り、真っ白な紙にペンを走らせる。皆が記憶をたぐり寄せながら描いているのは、これまで住んできた部屋のまどり図だ。

「ちょっと時間をとるので、今からまどり図を描いて欲しいです」。皆にA4のコピー用紙と筆記用具を配り終えたところで、藤田君が切り出す。「ちなみに皆さん、生まれてから今住んでいるおうちまで、何回引っ越しましたか?」

「3回です」

「1回だけ」

「5回かな」

「何回だろう。……8回か9回

私、引っ越したことないです」。ひとりずつ順番に答えてゆく。

 藤田君はここ最近、まどり図に関心が向いている。2020年12月には、マームとジプシー×いわきアリオス「上演を展示するプロジェクト」がスタートした。これは福島県いわき市にある劇場が主催する企画で、藤田君がワークショップ参加者とのやりとりを通じ、1年かけて演劇作品を立ち上げていく企画だ。その最初の段階として取り組んだことも、参加者にまどり図を尋ねることだった。平面に描かれるまどり図は、2次元の世界だ。ただしその平面の中に、いくつもの時間と記憶が詰まっている。それを一度平面で捉え直し、空間をともなった演劇作品に立ち上げようとするプロジェクトだ。思えば、『cocoon』を上演するという取り組みも、実際に起きてしまった出来事があり、それを今日マチ子さんが漫画という平面に描いたものを、演劇作品として空間に立ち上げる取り組みだと言える。

「自分が住んだ家だけじゃなくて、記憶深いまどりってありません?」。藤田君が皆に問いかける。「たとえば僕だったら、実家があるのは北海道なんだけど、正月になると群馬のばあちゃんちに毎年帰ってたから、そこは結構思い出深いまどりなんだよね」

 皆にそう語る藤田君の後ろ姿を眺めていると、作品の記憶が甦ってくる。2012年にマームとジプシーが上演した『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』は、まさにその「群馬のばあちゃん」が道路の拡幅工事により取り壊されることになって、そこから生み出された演劇作品だった喪失を経験したとして、それをフィクションとして描かずにおれないというのは一体どういうことだろうかと、あれから時折考えている

「猿渡は、記憶深いまどりってありますか?」

「記憶深いのは、おばあちゃんの家ですかね」

「おばあちゃんちか。青柳さんは――なんかあります?」

「今の家が改装される前の家」

「ああ、改装される前の状態っていうのがあるだ。亜佑美さんは?」

「私もおばあちゃん

「佐藤さんは?」

「青森に、ばあちゃんのお姉ちゃんたちが住んでる家があって。お正月にしか行ったことがないですけど、毎年お正月になると、きょうだいたちが集まってました

「中島さんはどう?」

「私は――おばあちゃんちのまどりは、一部しか知らなくて。そこはすごく古い家で、玄関入ってすぐの部屋が客間みたいになっていて、そこまでしか入ったことないです」

 皆の話に耳を傾けながら、自分自身の記憶を辿ってみる。昭和57年生まれのぼくは、小学校に上がるくらいまでは――つまり、元号が昭和から平成に変わる頃までは――お盆や正月に親戚の家をちょくちょく訪ねていた。そんなときに案内されるのは、古い日本家屋であれば客間か、洋風の家であればリビングだったから、その空間以外のまどりはまるで思い出せなかった。

 皆は30分近くかけて、これまで住んできたまどり図と、記憶深いまどり図を描き上げる。まどり図が完成すると、ひとりひとり皆に向かって説明してもらう。

「まどり図っていうのは、二次元のものだよね」と藤田君。「つまり紙の中にあるものなんだけど、この紙を皆に見せながら説明するじゃなくて、この稽古場の空間を使って、玄関を入るところから実寸で説明して欲しいです。じゃあ、まずは佐藤さん」

 最初に指名された佐藤桃子さんは、生まれた時に住んでいた家を3歳で引っ越している。3歳となると、物心がつくかどうか、微妙な年齢だ。

「玄関を入って――最初の空間はちょっと曖昧なんですけど、こっちに進んでいくとキッチンがあって。ここに、ダイニングテーブル。たぶんこれは、お父さんとお母さんで使う、二人掛けのテーブル。そこからさらに進んでいくと、居間になって、そこにテレビもある。この部屋にはたしか、たつみたいな低いテーブルがあって、6人ぐらいが座れるサイズ」

 このまどりは、ホームビデオで撮影された映像をもとに追体験した記憶だ。ただ、まどり全体のことおぼえていないのだけれど、この今に座り、テレビの前に佇んでいた記憶は、今も残っている。

「次、猿渡。猿渡は――生まれた家に18歳まで住んだだね?」

「はい」

「どういうまどり?」

「入口をくぐると洗い場があってここはまだ土足です」。猿渡遥さんはそう切り出す。かつて、彼女の実家はクリーニング店を営んでいた。実家がお店をやっている人は、猿渡さんのほかにも何人かいた。

そこには乾燥機とか、ドラム式のでっかい洗濯機が並んでいて、洗い場になってました洗い場には台が並んでて、アイロンがいっぱいありました。玄関を入ると、すぐ目の前が階段になっています。1階には中庭があるですけど、この中庭の左手側が洗面所とお風呂。細長い廊下を進んでいくと、左側にトイレがあって。そこから一段下がると、そこから先は古い建物に――また別の建物になるです」

「どういうこと? ふたつの建物がくっついてるってこと?」

「そうなんです。1階同士は廊下で繋げてあるですけど、2階は繋がってなくて。1階の廊下を渡って、古いほうの建物に降りると、すぐ右手側が畳の部屋で、いつもひいおばあちゃんがいる。その横が仏間になっていて、その向こう側がお店になってました。そこには受付とアイロンがあって、外からお店を見ると、アイロンをかけている姿が見えるようになってました。古いほうの建物は、ひいおじいちゃんの頃からある建物だから、築100年近いかもしれないです」

「この建物の感じからして、ほんと昔の建物って感じだよね。そうやって廊下でふたつの建物をくっつけるって発想自体昔って感じする」

「新しいほうの建物の2階に、おばあちゃんの部屋があるです。その部屋から、古いほうの建物の屋根に上がれるから、そこに布団を干したりしてました

「私が生まれたのはばあちゃんちだったんだけど――いま気づいただけど、ばあちゃんちとこの部屋、大きさが似てるの」。成田亜佑美さんがそう話し出すと、「え、でか!」と皆が一様に驚く。成田さんのおばあちゃんちは、昔ながらの日本家屋で、出入り口がふたつある。

「普段出入りするのは、表玄関とはまた別の、こっち側にある玄関で。そこにはチロが――わんちゃんがいる。この玄関を入るとすぐ台所で、ごはんを食べるところもある。そこから、きゅきゅきゅきゅきゅってなるドアを開けたら、廊下になっていて。向こうにいくと、洗面所。トイレがあって、お風呂場があって。こっちにいくと、畳の部屋。ちょっと歩くとお仏壇の部屋があって、その隣に“ちっちゃいばあちゃん”――ひいおばあちゃんがいる部屋がある。その隣が応接間になってて、ここに表玄関がある。そこにチョコが――わんちゃんがもう1匹いる」

「これ、庭みたいな場所に“神様”って書いてあるけど、“神様”って何?」

「庭にね、白い石?――石か、岩みたいなのがある。そこにおじいちゃんはお酒をお供えしてたんだけど、おじいちゃんは神様の前で死んじゃったんだって」
「え?」
「いつものように、神様にお酒をお供えしてるときに、突然亡くなってしまったらしい」

「えっと、引き戸で。入ると、洗面所があって、和式の便所がある」

 青柳いづみさんが説明を始めると、「和式なんだ?」と藤田君が聞き返す。

「もともと和式なんだけど、和式を洋式にできるのが設置してある」――話を聞いていた皆のうち、何人かが「ああ、あったね!」と懐かしそうに声を挙げる。ぼくも、その和式を洋式にしたトイレを、どこかで使ったことがある。うちには設置されていなかったけれど、ぼくが生まれた時に住んでいた家も和式便所で、和式の家というのは珍しい存在ではなかったし、古いおうちだとボットン便所も残っていた。自分が生きているたった数十年のあいだに、住まいはがらりと変わった。

「それで――便所のすぐ隣に、2階へ続く階段があって。この階段から、犬をいっぱい落としてしまった」

「どういうこと? そういう遊びをしてたってこと?」藤田君が尋ねると、青柳さんは「遊んでないです」と憮然とした調子で返す。「うの中で犬を飼ってたんだけど、この階段から落ちちゃうってこと。落ちないように柵をつけてたんだけど、それでも落ちちゃう。で、階段を上がらずに、廊下を進んでいくと台所があるだけど、台所は入ったことがないから記憶がないです」

「小3のときに、××さんが私の小学校に引っ越してきて。私はそれまで友達がいなかったですけど――どういうきっかけだったのかは思い出せないですけど――××さんと仲良くなって」。中島有紀乃さんはそう振り返る。「4年生で一回クラスが別になって、5年生でまた一緒のクラスになったですけど、私がひとりでいたら、××さんが話しかけてくれて。その当時、『鋼の錬金術師』にお互いハマってたので、その話をして――それから5年、6年と同じクラスで、中学では一緒に吹奏楽部に入って、ずっと仲良しでした」

「じゃあ、××さんのおうちによく遊びに行ってたんだ?」

「はい。玄関入ると、廊下があって。こっち側に、トイレ。こっち側に、ずっとリビングが広がって。向こうに、キッチン。その隣に和室があるです」

「ちょっと、詳し過ぎじゃない? 泊まりに行ったりしてたってこと?」

「それは、わけがありまして。『カイジ』って漫画にハマったとき、××さんちで地下帝国ごっこをやってたんです。キッチンのこっち側に脱衣所があるですけど、地下帝国に連れてこられた人たちが、刺青を入れたりする場所を、この脱衣所にしてたんです

 中島さんの話を聞いていると、こどもだった頃の記憶が呼び起こされる。ぼくは小学生の頃、家が近所の友達とふたり、ゲームの世界や漫画の世界に入り込んだつもりになって遊びながら、学校から帰っていた。大人になった今振り返ってみると、ゲームは1日30分までと決められていたし、漫画ばかり読んでいると怒られたから、登下校の時間にそんな遊びをすることで楽しんでいたのだろう。大人になった自分からすると、いじましい遊びに思える。でも、こどもだった当時は「いじましい」だなんて思ったことはなくて、なんの変哲もない通学路で、夢中になって遊んでいた。どうしてあんなに想像の世界に没頭できていたのだろう。今ではもう、帰り道は遊び場ではなくなり、ただ家路を急ぐだけの時間になってしまっている。

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