「ちょっと、ここからインタビューの感じを変えていくんだけど」。藤田君は皆が描いてくれたまどり図を手に、そう切り出す。
「皆がこれまで住んできたおうちを説明してもらってきたけど、ここで一旦、14歳のときに住んでたおうちに戻ります。このまどりの中で、おぼえている会話ってありますか?」
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「6歳ぐらいのときに、川の字になって寝ていて」。荻原綾さんは記憶を辿る。「私を挟んで、母親と父親が寝てたんだけど。ある日の夜、何について揉めてるかは全然わからないんだけど、ふたりが喧嘩してて。お母さんがあるタイミングで、『情けないわよ』って。情けないって言葉がどういう意味なのか、6歳の自分にはわからなかったんだけど、それがすごく悲しそうな声で、すごくつらいんだろうなって、自分も悲しくなった」
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「私の部屋は2階にあるんですけど、私の部屋に通じる階段に、荷物を置く癖があって」。中村夏子さんが振り返る。「学校から帰ってくると、部屋まで上がらずに、階段に荷物を置いてテレビを見てて。そうすると、私が置いた荷物で、だんだん階段が埋まってくる。私以外の家族も階段に荷物を置いてるんだけど、階段が埋まってくから、お母さんに怒られたりしてました。あとは、弟と喧嘩になったとき、階段に置いてある私の荷物を弟が持って上がって、それを2階から投げ落とされる」
「じゃあ、この階段はまっすぐなんだ?」
「まっすぐです」
「弟とは何歳差だっけ?」
「3歳です」
「だけど――夏子が描いたまどりを見ると、喧嘩になりやすいまどりだな」
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「思い浮かぶ会話、いっぱいあるな」。どのエピソードにしようか、しばらく悩んでから、菊池明明さんが語り出す。
「学校からの帰り道に、柿の木があったの。私、その柿の実を獲ったことがあって。その当時の私は――たしか小3か小4ぐらいだったと思うんだけど――すごく罪悪感に苛まれる時期だったんだよね。だから、なんてことをしてしまったんだって、柿を獲ったことで罪悪感に苛まれたの」
「それは――このまどりのどこで苛まれたの?」
「おばあちゃんの部屋で、泣きながら懺悔した」
「そしたら、おばあちゃんは何て?」
「『いや、大丈夫だよ』って。まわりの大人からすれば『柿なんて獲ってヤンチャだね!』ぐらいの話だったのかもしれないんだけど、ああ、悪いことをしてしまったって、罪悪感に苛まれてた。学校に生えてる雑草を抜いただけでも、ああ、用務員のおじさんに謝んなきゃって気持ちになってたんだよね」
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「この話、たしか藤田君に話したことあったと思うんだけど」。小泉まきさんはそう前置きして語り出す。「昔、玄関に入ってすぐのところでハムスターを飼ってたんだけど。最初のうちは毎日様子を見てたんだけど、そのうちハムスターを見ずに部屋に入って、テレビを見たり、お姉ちゃんと遊んだりするようになって。そしたらある日、お母さんが、『ふたりともさ、ハムちゃんのこと、ちゃんと見てるの?』って、結構すごい表情で言ってきて。見てるよって答えたら、『ハムちゃんのこと、ほんとにちゃんと見た?』ってまた聞いてくるんだけど、テレビに夢中になってたから、『見たよ!』って答えたの。そしたらお母さんが、涙ながらに私とお姉ちゃんを玄関に連れて行って。ケージを見たら、動かないの。え、って言ったら、お母さんが『死んでる』って――その時点でお姉ちゃんは泣きながら玄関からいなくなってたんだけど、私はまだ玄関に残ってて。お母さんが『なんで死んだと思う?』って。『洗濯機に挟まってたんだよ』って」
「お母さんはそれをケージに戻してたってこと?」
「弱ってるハムスターをケージに戻して――そうすれば学校から帰ってきた私とお姉ちゃんも、元気がなくなってることに気づくと思ったのに、全然気づかずに通り過ぎちゃって。それでお母さんが号泣して、なんでちゃんと見てなかったんだろうって後悔したし、すごい悲しかった」
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「最初に引っ越しをしたとき、引っ越した先の家のすぐ近くに住んでいる同級生の子がいて」。佐藤桃子さんは学校の記憶を引き出す。「その子に、すごい長文の手紙を書いちゃったことがあって」
「それ、どういう内容の手紙だったの?」
「私は転校してその学校に入ったから、その子しか友達がいなくて。だから、学校が終わると一緒に帰れると思ってたんだけど、その子は他の友達と帰ってて。それで、一緒に帰りたいのに、なんで一緒に帰ってくれないのかってことを長文の手紙で書いちゃったんですけど、その手紙を破られて。もう、私は嫌われてしまったと思って、お母さんと一緒にお風呂に入ってたときに、泣きながら『××ちゃんに嫌われちゃったかもしれない』って話して」
「そしたら、お母さんは何て?」
「お母さんは『大丈夫だよ、××ちゃんはそんなことで人を嫌いになるような子じゃないよ』って。お母さんの言った通り、それからしばらく経って、××ちゃんとはまた仲良くなりました」
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「まだ私が小さかった頃に、弟がやけどをしたときがあって」。それは猿渡遥さんが小学校に上がるかどうかの記憶だ。「洗い場がある側の入り口――そっちに駐車場があったんです。下が砂利になっていて、両脇に金木犀があって。そこで冬に、ドラム缶みたいな焼却炉で、焼き芋を焼いてたことがあるんです。その瞬間はうろ覚えになってるんですけど、火をくべてるときに、弟の足が焼却炉に当たっちゃったんです。お母さんがすごく慌ててて、『とにかく冷やさなきゃ!』って、洗い場のホースで水を出して――私は『どうしなきゃいけないんだろう?』って呆然としちゃって。お母さんから『氷を持ってきて』と言われて、とにかく言われたことをするしかなくて。言われるままに、キッチンに向かって。冷蔵庫から氷を取り出して、走って運んできて、またうろうろして。お母さんがずっと冷やしている近くで、私はずっと呆然としてました」
「それ、猿渡が何歳ぐらいのときなんだろう?」
「弟はまだ保育園だったから、だいぶ小さいときだと思います」
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「たしかに、このおうちのまどりはかなり細長いから、テンパリそうだね」と藤田君は言う。猿渡さんが描いたまどり図を見つめて、藤田君はしばらく黙り込んだ。
「やけどってさ、結構とんでもないことだよね。だけどさ、『cocoon』で描く人たちって、やけどなんてほとんど全員してたんだろうね。ガマに行くと思うんだけどさ、ガマって自然洞窟だから、かなり細い道があったりするんだよね。その出入り口で誰かが大やけどなんてしたら、今の猿渡の話みたいに――いや、今以上の話になるんだろうね」