coccon

interview

藤田貴大単独インタビュー#6 <最終回>前半

――3度目の上演となる『cocoon』は、2020年3月に出演者のオーディションがあって、その年の夏に公演がおこなわれる予定でした。それがコロナ禍で延期となって、出演者の皆と定期的に集まりながら2年近い時間を過ごして、今年の夏にようやく上演に至りました。こんなに時間をかけてひとつの作品を立ち上げるというのは初めての経験だったんじゃないかと思うんですけど、振り返ってみるとどんな時間でしたか?

藤田 2年前まで、僕はたくさんの作品を並行してつくり続けなきゃいけなかったんですけど、コロナ禍になって自分のまわりにある時空がなんだか変わってしまったんですよね。公演したいと言ってもできない状況があると知って、「今年の上演は難しい」っていう判断をして――ネガティブなところからスタートしてはいるんだけど、2年間かけたから描けたことがあったな、と。2年前の自分が同じ言葉を誰かに言われたとしたらカチンときていると思うんだけど――2年はかけなきゃ作品はつくれないんだよって言われたら、「そんなに待ってくれる人なんていないよ」と思うだろうから――ただ、1ヶ月後の公演に向けていきなり稽古を始めるってことのドライさに気づかされたというか。

――通常の作品だと、「いきなり稽古に取りかかるんじゃなくて、お互いのことを知るために、まずは毎月会ってみる」みたいな時間は持ちづらいですもんね。

藤田 2年間かけたから、この人はこういうバイオリズムなんだなってことが微妙にわかったりしたんですよね。それは、キャストにもスタッフにも。最後の仕上げのところは、相変わらず自分でやるしかないとは思うんだけど、2年間あったから辿り着いたことや気づいたことがたくさんあって。それを今後の作品でも実現させるために、どうしていこうかって段階にきている気がします。『cocoon』に限らず、『ねじまき鳥クロニクル』もちょうど1年かけて台本を書き下ろしたし、『路上』でも橋本さんと1年間かけて足を運び続けたこともあったし、一つの作品への時間のかけかたが更新された感じはありますね。

――2015年に『cocoon』を再演した頃だと、藤田さんは「ずっと劇場の中で過ごしてたから、外が暑かったのかどうか、まったく記憶にない」みたいなことをよく話してましたよね。それに比べると、今回の『cocoon』では、時間や時節の移り変わりを感じる時間が多かったような気もするんです。3月には「ああ、これぐらいの季節にひめゆり学徒隊が動員されたのか」と考えたり、「この時期に沖縄で地上戦が始まったのか」と考えたり、6月23日の慰霊の日に合わせて出演者の皆と沖縄を巡ったり、月日の感覚を意識した部分もあったのかな、と。

藤田 話を聞いてて、ほんとそうだなと思いました。今でも劇場に戻ると身体感覚がおかしくなってくる部分はあるんだけど、今年はちゃんと外の空気を感じていた気がします。京都は暑かったなと思うし、沖縄に行くたびに「夜は結構寒いな」と思うし、そういうことを考えることが増えたな、と。そういうことを感じるのが人間らしいとも思わないけど、外に目を向けるようになりましたね。昔は舞台上にしか答えはないと思ってたのに、なんでこんなに感覚が変わったんだろう?

――そこも感覚が変わったんですか?

藤田 コロナ禍になってから、自分の言葉だけじゃなくて、誰かの言葉に頼る強さに気づいたんですよね。演出の感じも、パフォーマンスを成立させるために「自分は演劇/芸術ってこうだと思う」ってことだけを観客に言いたいわけじゃなくなった。演出家って、作品に関わる誰しもに毎日なにかしらの言葉を選んで、声をかける。どうコミュニケーションを取るか悩む、という職業でもあるんですけど、外はこういう天気で、こういう状況で、来月にはこういう選挙があって――そういうことをツアー中に皆と話すようになってきたのは全然違うかもしれないですね。

――今年の『cocoon』は、全国9都市で上演されました。沖縄戦をモチーフとした作品とともにいろんな土地をめぐった日々は、どんな時間として残りましたか?

藤田 『cocoon』に関しては特に、戦争ってトピックに特化した土地を選んで上演するんじゃなくて、「自分たちは戦争のとき無傷だった」と言っている人たちがいるかもしれないような土地に飛び込んでいくべきだと思っていたんです。その一方で、実際にツアーに出てみると、やっぱり無関係な土地はないんだなということにも気づかされる。ホテルに戻ってテレビをつけてみたら、夏という季節もあってか、戦争に関する番組が放送されていて。日本中の至るところで戦争にまつわる体験を聞き、思い出している季節に『cocoon』が上演されているというのは、改めて自分の経験としても面白かったですね。どこにだって戦争はあったんだろうし、8月っていう季節は、沖縄にとって6月がそうであるように、その時代のことを思い出す時間になっているんだろうな、と。

――沖縄では那覇にオープンした「なはーと」で公演がありましたけど、そこがツアーの終着地ではなくて、そのあと埼玉、北海道の伊達市、士別市とツアーが続きました。

藤田 沖縄で『cocoon』をやれてよかったなって濁りなく思っているんですけど、一方であの土地で『cocoon』を上演するというのは、感情も含めてどうしてもいろんなことが、複雑にクロスオーバーしちゃうから、沖縄での公演のあとのツアーが心配ではあったんです。僕は北海道出身だから余計に、「北海道の人たちは、例えば沖縄の人たちよりも戦争のことに無関心なんじゃないか」と思っていたんですよ。でも、全然そんなことはなかったんですけど。

――『cocoon』が上演された沖縄とは遠く離れた土地でもありますし、北海道が戦時中に被害に遭ったというイメージも薄いですよね。ただ、公演がおこなわれた伊達にほど近い室蘭でも艦砲射撃の被害に遭っていたり、決して戦争と無縁ではなかったという。

藤田 伊達公演のときも、伊達に住んでいる方で沖縄戦で親戚のお兄さんを亡くした人が観にきてくれたり。戦争の経験は少なからずどの土地にもあるんだってことを知ることができたんですよね。そういう意味では、『cocoon』はひめゆり学徒隊を扱った話ではあるけど、そのデフォルトから少し外れたところで、観客一人一人が“戦争”というイメージをどう持っているか、そのイメージと劇中で描かれている“戦争”をどう体験として擦り合わせることができるか、という空間になっていたのかもしれない。僕も含めて実際に戦争を経験していないんだとしても、誰しもが自分の中にある“戦争”というイメージの中で、戦争を体験しているんですよね。そう考えると、まだまだツアーしていい作品だとも思ってます。

――『cocoon』の主人公は青柳いづみさんが演じる“サン”ではありますけど、今年の上演を見ていると、戦争で傷ついた人たちの中に主役も何もないのと同じように、そこに主役も何もないという意識が、過去の上演に比べて明確になったような印象を受けました。そうした感覚のもとで『cocoon』を上演するときに、どういう声を舞台上で響かせたいかってことも変わってきたんじゃないかと思うんです。

藤田 そうですね。特に青柳とのかかわりの中で、青柳の声を聴きながら『cocoon』のことや“サン”にまつわることを考えてきたんですけど――これはツアーが終わったあとに彼女と全然話せてないんだけど、青柳の中では今年の『cocoon』はどうだったんだろうなと思うんです。というのも、今年の『cocoon』で青柳が発する声って、誰でもない誰かになっていた気がして。“わたし”の声じゃなくて、誰の声でもある。彼女の身体の中に、何千、何万という声がある。それができるってすごいことだなと思うんですよね。10年前の初演のときはもうちょっと、“サン”という役がどう立ち上がっていくのか、どういうプロセスで最後の「生きていくことにした」って言葉を言えるのかってことばかり考えてた気がするんですけど、今年の“サン”はまるっきり青柳のように見えなかったんですよね。

――青柳さんは「憑依型」みたいな文脈で語られがちではありますけど、それとは真逆で、誰でもない誰かとして舞台上に存在していた感じがする、と。

藤田 観客と同じ地平に立ち過ぎてて、逆に心配になったというか。客席に座っている人たちに向けて、「席は用意されてあるけど、そこで何を思うのか」ってことがプロローグで語られた時点で、初演や再演の『cocoon』とは全然違った気がします。

――今のお話にもあった「席は用意されてある」という言葉は、今年の『cocoon』で印象深い言葉のひとつでした。その言葉を青柳いづみさんも語りますし、兵士を演じる内田健司さんも語っていました。内田さんが演じる兵士は、前線で負傷して病院壕に送られます。ただ、戦況が悪化し、陸軍病院が南部へ撤退するとき、重傷者だからという理由で置き去りにされる。そこで「席は用意されてあったはずなのに」という言葉も口にしています。だから、第一義には「自分のために用意されてあったはずの席が、戦況が悪化される中でなくなった」と受け取れますけど、この世に生まれてきて、戸籍があったから徴兵されて、兵士としての「席」が用意されてしまったんだと考えると、「席は用意されてある」というのはおそろしい言葉にも聴こえます。

藤田 自分で書いた言葉ではあるんですけど、言葉ってどんどん独り歩きしていくから怖いなと思う。「この言葉は誰が書いたんだろう?」って思うんですよね。ただ、「席は用意されてある」っていうのは、物理的に席が用意されてあるってだけじゃなくて、人って生まれた時点で何かしら役割があると思うんです。それは職業とかってことじゃなくて、生まれたときから少なくとも「こども」って立場が付随してくる。一人一人に何かしら立場があって、何かしらストーリーがあるはずなのに、「席が用意されてあるはずだったわたしたちは、人間扱いされてますかね?」ってことをここ数年思うんですよね。これはいろんなところで何度も言っていることですけど、コロナ禍になったときに演劇は不要不急なものだと言われたこともそうだし、そもそも劇場の中で表現しているわれわれって人間扱いされてないんじゃないか。

――フィクションの中の存在だと見做されていて、人間として見られていない?

藤田 役者は、たしかに何かの役を演じる人たち、というのはそうなんだけど、劇場の中ではその前提がありすぎるから、もしかしたら人間扱いされていないような気がするんですよね。役者なんだからこの時間は、役を演じていればいい、役を演じるというサービスをしていればいい、って。観客が「わたしたちはなるべく巧みにつくられたストーリーを見ればいいんですよね」という態度で、エンターテインメントだけを求めて客席に座っているんだとしたら、それはすごくドライな空間なんじゃないか。そうじゃなくて、舞台に立っている役者、というより“俳優”も、俳優という職業以前に全員立場がありますよね。家族や知り合い、または社会との関係性の中で、何らかの席に座っているただの人である。その原点に立ってみてほしかったんですよね。俳優もスタッフも観客も、劇場という空間にいる誰しもが。そうしないと聴こえないこと、視えないことがあるんじゃないかと思ったんです。ただ、僕だって誰か人を鼻で笑ってしまうときだってあるし、劇場に足を運んでくれた人の中にも誰かを蹴飛ばしてきた人がいるかもしれない――人が人をどう扱ってきたか、扱うかってことがこんなにも試される作品を上演してるのに、現実はどうなってますかねってところを、もうプロローグから言っておきたかったんですよね。

――だから作品のいちばん最初のところで、「目をあけると、、、、、、2022年だ、、、、、、」「ここは劇場、、、、、、わたしの、、、、、、わたしたちの目のまえには、、、、、、客席、、、、、、? 客席が、、、、、、広がっている、、、、、、」「だれしもに、、、、、、席は、、、、、、用意されてある、、、、、、」と語るところから始めたわけですね。

藤田 マームは昔、たとえば「尾野島慎太朗でーす」って名乗るところから作品が始まる時期があったんですけど、そうやって名乗ることを上演時間内ではしなくなったとはいえ、その精神自体をやめたわけじゃないというか。物語とかじゃなくて、まずは自分の立場を明かすというか、自分が何を考えているのかってことをきちんと最初に明かしてから始めるのが、表現をするわれわれのひとつの態度だと思っている部分があって。次の作品ではどう言ってから始るかってことは常にずっと考えてますね。その根本には、「自分の書いた言葉が届かなかったから、この世界のありさまなんだな」っていう絶望があるんですけど。

(聞き手・構成・写真 橋本倫史)

後半へ続く――