『cocoon』に向けたWORKは、2020年7月1日に始まった。だが、8月1日に東京都の新規感染者数は472名と過去最多を記録し、作業は中断を余儀なくされた。秋には感染は収束に向かい、マームとジプシーは9月から10月にかけて兵庫県豊岡市、香川県善通寺市、東京都小金井市をめぐり、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』を上演した。12月には新宿「LUMINE 0」で『窓より外には移動式遊園地』を開催。年明けには『BEACH BOOTS CYCLE』という作品の上演が予定されており、東京・江東区にある森下スタジオで稽古が進められていた。この稽古場に『cocoon』の出演者が集まったのは、2020年12月17日のことだった。
「色々と大変な状況ですけど、集まっていただいてありがとうございます」。皆が揃ったところで、制作の林香菜さんが挨拶する。作業に入る前に、コロナ対策を皆に伝える。朝は自宅で検温すること。37.5℃以上の熱があった場合は、自宅で待機すること。外を出歩くときはもちろん、稽古場でも基本的にはマスクをつけて過ごすこと。稽古場に入るときに検温と、手指消毒をすること。稽古場内では内履きに履き替え、稽古靴で過ごすこと。1時間に一度は稽古場の換気をすること。あらためて、稽古前に皆に伝えている。
「えっと、あれだね。マームの事務所で作業したのは、7月だったんだね」。林さんの話が終わったところで、藤田君がそう切り出す。「状況が二転、三転して作業ができずにいたんですけど、今日から再開できるということで、嬉しいです。『cocoon』まで2年もなくなってきてるから、徐々に準備を進めていきたいなと思ってます。7月から皆にひとりひとりのエピソードを聞いてきたけど、それがどこかのタイミングで『cocoon』っていう作品に直接関係することになっていけばいいかな、と。いきなり『cocoon』って演目を描くためだけの稽古をするんじゃなくて、もうちょっとまわりくどいやりかたで『cocoon』に近づいていけたらなと思ってます」
暖房の運転音が低く響く。『BEACH BOOTS CYCLE』の舞台に配置されるのだろう、クリスマスツリーが稽古場の片隅に置かれている。気づけばもう年の瀬が迫っている。
「僕がどんなふうに作品を作るのか、言葉で伝えるよりも、実際にやりながら伝わっていくのがいいかなと思って、ここからワークショップを重ねていきたいなと思っているんですね。演劇っていろんなつくりかたがあると思うんだけど、僕の演劇って、稽古が始まった段階では台本がゼロなんです。前回の『cocoon』も、前々回の『cocoon』も、今日さんの原作はあるんだけど、脚本はまったくゼロってところから始めていて、そこに集まった人たちを僕が観察しながらつくって行ったところがあって。集まったこのメンバーで独特な台本が出来ていくと、今まで見たことがないものをつくれるっていう自信が僕の中にある。これは演劇に限った話じゃないんだけど、新しいものをつくろうとすれば新しいものができるって、僕はあんまり思ってなくて。そうじゃなくて、僕がキャスティングして集まった人たちがいて、そこに集まった人たちのムードでつくられたものが、結果として他とは違うものになるはずだっていう自信があるんです。そのために、皆のことを少しずつ知って――いや、『皆のことを知る』と言ったって、皆と一緒に生活できるわけじゃないし、こうやって定期的に集まることしかできないんだけど」
そこまで話したところで、藤田君は少し話を中断する。暖房が強過ぎて少し暑くなってきたのと、暖房の運転音で声が伝わりづらいこともあり、暖房を止めて話を続ける。
「最初のうちは、こうやって皆に話を聞いて、ちょっとずつパーソナルな話を引き出していくんだけど、僕が聞きたいことを聞いていくうちに、たとえば小石川さんとして話を聞いていたところから、小石川さんの話じゃなくなるタイミングが僕の中で訪れるんです。実際の小石川さんから、『cocoon』の中で動いている小石川さんになる、というか。皆のパーソナルな話が、徐々に『cocoon』っていう上演物の中のキャラクターになっていくことになるんじゃないかと思って、ちょっとまわりくどいやりかただけど、ワークショップを重ねていきたいと思ってます」
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藤田君はノートパソコンを広げ、7月のメモを開く。まずはおさらいに、皆の好きな食べ物と嫌いな食べ物を確認し直す。
「じゃあ、××。僕のメモだと、『皆が好きそうなものが嫌い』って書いてあるんだけど、これは何だろう?」
「ああ――たぶん果物のことを話したんだと思う」
「そうだ、常温のフルーツが食べられないって話してたんだ。バナナとかも、常温だと食べられないんだっけ?」
「食べようと思えば食べれるけど、食べたくない」
「それは難しいよね。バナナって、常温で食べるものだと思ってたもん。それで――好きなものは『お餅』だっけ?」
「ああ、そのときは『お餅』って言ったんですね」
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「次、××。嫌いなもの、『ミント』?」
「ああ――ミントって答えたんだ」
「え、何? 皆、この数か月のあいだに、好きな食べ物とか嫌いな食べ物が変わったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「好きな食べ物、『生クリーム』」
「ああ、そこは変わった」
「7月のときは、『業務用スーパーで生クリームを買ってきて、食パンにつけて食べる』って言ってたけど、それはもうやってないんだ?」
「生クリームは今でも大好きだけど、そんなふうに食べてたのはあのときだけだった」
「その時期だけ、××の中でその食べ方が流行ってたんだね。業務用スーパーって行ったことないんだけど、すごいらしいね。枕になるぐらいのマシュマロとか売ってるって聞いたけど。え、業務用スーパーって、普通に誰でも入れるの?」
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全員のおさらいを終えると、初めて参加するふたりに、藤田君は質問を向ける。マームとジプシーのレパートリーメンバーでもある成田亜佑美さんと荻原綾さんは、オーディションを経てキャスティングされたメンバーだけれども、作業に加わるのは今日が初めてだ。
「じゃあ、次は亜佑美さん。好きなものは?」
「ポテト」
「ポテトって言い方をしますけど、ポテトって何?」
「ポテトは――ポテトだよ」
「ジャガイモじゃなくて?」
「ポテトフライとか、ポテトチップも好きだよ?」
「ああ、そういうことか。嫌いな食べ物は?」
「サーモン」
「なんで?」
「なんでだろう。おいしくないから?」
「それはもう、生で食べても、焼いて食べてもおいしいと思えないんだ?」
「焼いたら――え、焼いてもサーモン? 焼いたらシャケ? シャケは好きだよ」
「焼いたら名前が変わる動物って――いるのか。たしかに、シャケって呼び方とサーモンって呼び方の違いって何だろうね。苦手な食べ物は、生で食べるサーモンぐらいですか?」
「あと、“かき”も嫌い」
「柿?」「牡蠣?」と、他の皆が成田亜佑美さんに問いかける。
「牡蠣です。青柳さんが大好きな牡蠣。やぎちゃんがね、前に食べさせてくれたの。『この牡蠣は美味しいから、騙されたと思って食べてみて』って。それで食べたんだけど――騙されたなと思ったよ。あれから牡蠣は食べてない」
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「ええと、“まる”」。藤田君が荻原綾さんに質問を向ける。藤田君は荻原さんのことを“まる”と呼ぶ。
「好きなものは、パン」
「パン? 特にこのパンが好きとか、ないの?」
「パン全般」
「パンだったら何でもいいんだ?」
「なんでもいい」
「そうなんだ。パンがあれば何でもいいんだ。知らなかった。いや、パンが好きだってことは知ってたけど、そんなに好きだってことは知らなかったよ」
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荻原綾さんと成田亜佑美さんは、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』に出演している。この作品は2013年に初めて上演されて、イタリア、チリ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドイツ、韓国と、世界各地を巡ってきた。ホテルに宿泊するだけじゃなくて、一緒に山荘のような建物に宿泊したこともある。そんなふうに生活をともにしても、まだまだ知らないことばかりだ。誰かのことを「知る」というのは、一体何を指しているのだろう?