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「あっちゃんさ、オブジェとか家具とかもちゃんと作ったほうがいいよ」

「え、作ってるよ?」

「全員15まであげてる?」

「うん、15まであげてるよ」

「あれ――やぎ、全員を15まで上げればいいんだっけ? 17だったっけ?」

藤田君は、成田亜佑美さんや青柳いづみさんと、なにやら話し込んでいる。一体何の話だろうと耳を傾けていると、「なんだ、“あつ森”の話か」と誰かが笑う。

「また“あつ森”の話になっちゃうんだけどさ、フォーチュンクッキーっていうのがあるんだよ」。藤田君が言う。「フォーチュンクッキーを食べると、中からアイテムが出てくるんだけど、それを買うにはリーフチケットが250必要になるわけ。250リーフって、現金で買ったら何円ぐらいだろう?」

「1000円以上はする」と青柳さん。

「課金する場合は1000円以上するやつなんだけど、あっちゃんは課金せずにコツコツ貯めて、それでフォーチュンクッキーを買ってるのに、出てきたのがもうすでに持ってるアイテムだったみたいなことがあるんだよ。そういう話を聞くのが、すごい切なくて嫌なんだよね」

その話、絶対伝わんないよ。成田さんはそう言って笑うけれど、藤田君は話を続ける。

「今日話したいなと思ってるのは、『切ない話』なんだよね。これ、僕は数え切れないぐらいあるんだけど。僕は北海道の伊達ってところに住んでたんだけど、小学校のときだと、休日になると皆、登別のマリンパークだとか、伊達時代村だとか、あとは三井グリーンランドって遊園地とか、そういうところに遊びに行ってたんだよ。だから月曜日になると、学校で皆、どこに連れてってもらったかって話をしてたんだよね」

同級生たちと違って、藤田君は遊園地に連れて行ってもらえる機会はなかった。クラスにはもうひとり、藤田君と同じように、どこかに連れて行ってもらうこともなく休日を過ごしている子がいた。その子の父親は、長距離運転手をしていて、土日でも働きに出ていることが多かった。

「あるとき、月曜日の朝に登校してたら、その子のランドセルの横に、シャチの人形が吊るされてたんだよ。『ああ、マリンパークに連れてってもらえたんだ!』って、その子のランドセルを後ろから見てるだけで泣きそうになりながら登校したわけ。ほんとによかったね、って。でも、教室についたら、クラスの中でヒエラルキーの高いような女子たちが、その人形を馬鹿にしてんの。そのとき、ほんとうに怒り狂いそうになったんだけど――そうやって誰かが買ったものが馬鹿にされたりするのが耐えられないんだよ。自分が買ったものはどうでもいいんだけど、誰かが選んだものが馬鹿にされてる様子を見るのが、昔から苦しくて切なくなるんだよ」

「この気持ちって、どう説明すればいいんだろう。可哀想とかってことでもなくて、勝手に胸が締め付けられる感じというか。××さんは、そういう瞬間ってある?」

「私、人に共感して切なくなっちゃうことがあって」

「共感っていうと?」

「たとえば、お母さんが通販で何かを注文したときとかに――当人は何も言わないんですよ。でも、箱を開けたときに、明らかに『これじゃなかった』って気配が漂っていて。その後ろ姿を見ると、切なくなります」

「それ、めっちゃわかる!」

「ああ、思ってた商品と違ったんだろうな、って。あと、うちのお父さんはあんまり買い物とかしないほうなんですけど、自分ではすごい気に入ってるものに対して、お母さんが『ちょっとそれは違うよね』みたいに言ったことがあって。もう大人だから、そんなに表には出さないんだけど、一瞬だけスッと暗くなった瞬間が見えて、『さっきの、言わなくてよくない?!』みたいに思ったことはあります」

「これはちっちゃい頃の話なんだけど、悲しい顔をした人形で遊ぶのが辛かった」

「それは――どういうこと? 表情がってこと?」

「そう。笑ってる人形と、ちょっと悲しそうな人形があったんだけど、悲しそうな人形で遊ぶのが辛くて。でも、笑ってる人形だけで遊んでたら、もっと悲しそうに見える気がして、仕方なく悲しそうな人形でも遊んでたんだよね」

「私は、おばあちゃんが可哀想な目に遭う映画とか、ちょっと観れないです。他の人が可哀想な目に遭っても何とも思いませんが、おばあちゃんだと嫌な気持ちになります」

「可哀想な目って、具体的にはどういう映画を観たの?」

「小学生の頃、お母さんと一緒に『悪人』って映画を観に行ったんですけど、樹木希林さんがおばあちゃん役で出てて。そのおばあちゃんは悪徳商法で健康食品を買わされちゃったり、孫が犯罪を犯したときに報道陣が押し寄せたり――それを観てるのが耐えられなくて。それからもう、おばあちゃんが孫にぞんざいに扱われる場面とかも、ちょっと耐えられないです」

「××さんはどう?」

「静かな家族とか、静かな壮年カップルを見ると、切なくなるかも。若い人だとならないんだけど、壮年を含んだ家族やカップルが静かに外食してて、会計が終わって帰っていく後ろ姿を見たときに、キュンとなる。これはどういう会なんだろうって、想像が膨らんでしまう」

「今の話はちょっとわかるかも」。別の誰かが言う。「きっと、時間を想像しちゃうんでしょうね。そこに至る過程や、そこで生じる感情を想像しちゃうから、キュンとなるんでしょうね」

「今のは結構良い言葉だね」。皆の話に耳を傾けていた藤田君が口を開く。「なるほど、『時間を想像しちゃう』か。それは僕の話にも当てはまるし、皆の話にも当てはまる感じがする」

「ちょっと今までの流れとは違うんですけど、私は小学生の男の子を見ると、すごく切なくなるんです」

「小学生の男の子?」

「はい。下校中の男の子と道端で遭遇することがよくあるんですけど、ひとり遊びながら帰ったりしてるんです。棒を持ってカンカン鳴らしたり、ぶつぶつ言ってひとりで遊んだり。そういう無邪気な時間って、きっと今だけのもので、あと何年かすると遠くに行ってしまうと思うんですよね。今の瞬間が奪われる未来を想像しちゃうんです」

「ああ、それはたしかに切ないね」

「切なくなる瞬間がもう一つあって。大学に入りたてのときに、新歓とかってあるじゃないですか。ああいう場所で、ストッキングの皺を見ると、切なくなるんです。高校生のときはストッキングを履く機会がなくて、履き慣れてないと思うんですよね。私の通っていた大学は、大人しい感じの子が多くて。でも、大学生になって『ちゃんとした服を着なきゃ』ってことでストッキングも履いて――小上がりのあるお店に入ったときに、履き慣れてないせいでストッキングに皺が寄っているのが見えちゃうと、切なくなるんです」

××さんの話を聞いているうちに、ふと、ひめゆり学園のことを思い出す。ひめゆり学園の制服は、大正時代にセーラー服に切り替わっている。当時はまだ琉装で生活する人たちも多かった時代で、セーラー服姿は目新しいものだったのだろう。

ひめゆり学園には寮があった。首里や那覇など、通学可能な距離に暮らすこどもたちは自宅から通学していたけれど、北部や南部、それに離島と沖縄各地から集まってきたこどもたちは、寮生活を送っていた。上級生が下級生を指導しやすいようにと、部屋割りには出身地も配慮されていたという。

初めてセーラー服を身にまとう新入生を見て、上級生はどんなことを感じていたのだろう。そこにはひとりひとり異なる感情があったに違いない。その中には、××さんのように、切なさをおぼえていた人もきっといたのだろう。

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