皆の手元に、“台本”が配られる。そこに綴られているのは、藤田君がフィリピンの人たちとZoom越しにワークショップを開催し、インタビューをもとに作り上げた映像作品『TAHANAN』のテキストだ。
「ここ数年の僕の作り方として、キャストに話を聞くってところが出発点になって、徐々にフィクションを立ち上げていくってことが多いんですね」と藤田君は語る。「今月からフィリピンの皆さんとワークショップを始めて、24人の参加者とZoomで繋がって、インタビューをもとに台本を立ち上げたんです。今配ったのはそのテキストなんだけど、これを扱いながら、僕がどんなふうにフィクションを立ち上げるのか、皆に伝えられたらなと思ってます」
『TAHANAN』は4つのブロックから成り、それぞれ「1)Tahanan sa Maynila」、「2)Balay saVisayas」、「3)Dialogues in Mindanao」、「4)Tahanan sa Luzon」とタイトルがつけられている。マニラとヴィサヤ、ミンダナオやルソンは土地の名前だ。「Tahanan」とはフィリピノ語で「家」や「落ち着く場所」を意味する。マニラのあるルソン島ではフィリピノ語が使われているのに対し、ヴィサヤ諸島ではセブアノ語が使われており、「Balay」はこのセブアノ語で「家」を意味する言葉だという。
「24人の参加者の人たちは当然それぞれ違う家に住んでるし、お互いのことを知ってるって人すらいなかったんだけど、たとえば1の『Tahanan sa Maynila』に出てくる6人は同じ家に住んでるって設定にして、フィクションを立ち上げてみたんです。このテキストは全部、参加者にインタビューした話に基づいてるんだけど、フィクションになってる。それを今から配役して、やってみたいと思います。ひとりひとりどういう人だったか、今から説明してきますね」
小石川桃子さんが演じる「フィ」は、家と外を隔てるゲートの佇まいが気に入って、今の家に住んでいる。佐藤桃子さんが演じる「ローヴィー」は、料理が好きで、得意料理はルガオというお粥。荻原綾さんが演じる「サンダー」は、サイクリングが大好きで、全身花柄の服で何時間もサイクリングに出かけている。
中島有紀乃さんが演じる「ジャム」は、大学を卒業したばかりで、クローゼットだった場所を自分の部屋に改造して住んでいる。仲宗根葵さんが演じる「ビナ」教育者である両親のもとに生まれ、グラフィックデザイナーをしている。須藤日奈子さんが演じる「ブライアン」は――。
「このブライアンはね、ガレージに座ってて、ギターとか弾いてます」。藤田君が回想しつつ説明する。「Zoomで繋がったときもギターを弾いてて、北野武の映画でも使われてるエリック・サティの曲を、ちょっとドヤ顔で弾いてたんですね。それで、自分はコロナ禍で鬱になって、アルコール依存症になりかけたんだけど、『太陽の下でギターを弾いたり、キックボクシングをしてたら克服したよ』とかって言っていて。この6人が『Tahanan sa Maynila』です。じゃあ、さっそく冒頭からやってみましょう」
『TAHANAN』は、フィによるモノローグで始まる。
フィ 幼いころ 住んでいた家は火事に遭って、無くなってしまった
そのとき、家と道路を隔てるゲートも 燃えてしまったのを、憶えている
・・・・・・
いま、住んでいる この家に住みたいとおもったのは
まずは ゲートが気に入ったから
外と、内を隔てすぎているわけではなくて ちょうどいい
ゲートは、家の内側へ“だれか”を招く場所でもあるのだけれど
同時に “わたし”の内側を守る場所でもあって―――――
・・・・・・
ゲートをはいって、すぐ ちいさなお庭
そして、ガレージには ブライアンとジャムがいる
・・・・・・(――ガレージにブライアンとジャムがいる)
フィ ただいま
ふたり おかえりー
・・・・・・
フィ 日光浴をする、ふたりをすり抜けて
トビラを開けると―――――
・・・・・・
ガレージでブライアンやジャムと顔を合わせたフィは、ふたりと言葉を交わしたあと、二階へと階段を上がり、モノローグを語る。フィのモノローグが終わると、ローヴィーとビナがいるキッチンのシーンに切り替わる。つまり、ここでブライアンとジャム、それにフィは一度フェードアウトする。
「えっと、マームとジプシーの舞台には、“待機椅子”ってものがあります」。稽古場の端っこに椅子を並べながら、藤田君が説明する。「演劇ってよく、出番が終わった俳優は楽屋に帰ったりするけど、マームは役者をハケさせません。だって、観客の皆さんは8千円とか払って上演時間中はずっと必死に観てくれるのに、役者は楽屋にハケてお菓子を食べながら談笑してるって、『え、どういうこと?』って思っちゃうんだよ。お菓子はさ、終演後に食べればいいじゃん。だから、本番中は誰も楽屋に帰さずに、舞台袖にあるこの“待機椅子”に座ってます」
キッチンのシーンが終わると、次はガレージにブライアンが佇んでいる。そしてまずはモノローグを語り出す。
ブライアン 日々、いろいろ 見たり、聞いたり
そして、かんじてしまう おおくのことによって
複雑に うんざりしてしまうのは、相変わらずだけれど
・・・・・・
わたしは、ここで 太陽のひかりを浴びて
ギターを弾いたり キックボクシングをして
気持ちを、シンプルに 整えていく時間を―――――
・・・・・・
そのモノローグのテキストを――つまりは自分がまとめたテキストを耳にしながら、藤田君はひとりで笑い出す。
「今のモノローグとかも、ほんと酷いなって思うよね」。誰に語るでもなく、藤田君はつぶやく。「コロナ禍になるまで、ブライアンはこのガレージで演劇の仲間たちと一緒に過ごしてたらしいんだよね。でも、コロナ禍でそれも叶わなくなって、ひとりでギターを弾いて過ごすようになって、さっきも説明したように『自分はコロナ禍で鬱になった』とか『アルコール依存症になりかけた』とかって涙ぐんで話してくれてたそれを『日々、いろいろ 見たり、聞いたり/そして、かんじてしまう おおくのことによって/複雑に うんざりしてしまう』って言葉に噛み砕いてまとめちゃってるわけだよね。自分でもほんと酷いなって思うわ」
こんなふうに噛み砕いてしまうと、藤田君は言う。その噛み砕き方は酷いなと自分で感じながらも、それでも噛み砕くのはなぜだろう。
ブライアンの場面が終わり、シーンは進んでいく。リビングに、成田亜佑美さんが演じる「ジェレイ」と、猿渡遥さんが演じる「ロン」と、青柳いづみさんが演じる「アルジェイ」がいて、三人で談笑している。
「今はね、紫芋の季節らしいです。このキッチンも、壁が紫芋色らしいです」。藤田君が説明する。
「紫芋色?」と成田さんが聞き返す。
「今は紫芋の季節らしくて、紫芋がめっちゃリビングにあるんだって。それで、紫芋のジャムを作っているおうちです。ほんとの話をするとね、3人は全員がリビングの話をしたから、ひとつのリビングって設定にしたんだけど、もちろん3人とも違うリビングに住んでます。じゃあ、どうぞ」
ロン “サリサリストア”のタプシログ、さいこーだなあ
ジェレイ なんだろう、絶妙に美味いよね
ロン それにしても、お腹いっぱい!
・・・・・・
アルジェイ きのうも、じゃあ 海へ行ってきたの?
ジェレイ そうだね、やっぱり毎日 行くよね、海には
とくに夕暮れはね ほとんど海で泳いでいるとおもう
ロン そんなに行ってるんだ、すごいね
ジェレイ 行かない日はないよ
せっかくちかくに、海があるんだからさあ 泳がなくちゃ!
アルジェイ そうなんだけど、さいきん あまり行けていないなあ
ジェレイ 働きすぎだよ、みんな
それに、ゆっくりする時間を持ったほうが 仕事もはかどるでしょう
このシーンのあとも、モノローグを挟みつつ、3人の会話は続いていく。こんなふうに青柳いづみさんと成田亜佑美さんが並んで台詞を読んでいる姿を、初めて観た気がする。
〇monologue ①
アルジェイ 何年かまえの、おおきな台風を 思い出す
あのときは、もちろん大変だった
一階は浸水してしまって、屋根まで逃げた
・・・・・・
水は、ほんとうに 恐ろしいものでもあるけれど
でも、かならずしも それだけではなくて
海は 生命を、生み出し そして、与えてくれる場所 でもある―――――
・・・・・・
〇dialogue/アルジェイ×ジェレイ×ロン
――三人のリビングでの会話はつづいている。
ロン 父は乱暴だったなあ 子どもたちみんな、彼に海へ ぶん投げられてたよ
アルジェイ ああ、でも それわかるなあ
ぶん投げられて、浜まで戻ってこい ってやつでしょう?
ロン そうそう
このかんじ、わかる?
アルジェイ あそこまで泳いで、戻ってこい とかも当たりまえだったなあ
うちの場合は、それは祖父だったけど
ジェレイ そうなんだ
アルジェイ 祖父はさあ むかし、兵士をしていて
ミンダナオ島にいたこともあったんだけど
ジェレイ へえ そうなんだ だいぶ、タフなひとでさ
アルジェイ だいぶ、タフなひとで
洪水でたいへんだったときも、家族全員が避難しようとしているのに
ひとりで、その家に 残ろうとしたりね
ロン すごいね、それは
すごい、というか たいへんだね
アルジェイ そんな彼に、育てられたんだけど
彼に、恐いものはないんだよ “神”以外にはさあ
ジェレイ なるほどね
・・・・・・
〇monologue ②
アルジェイ 窓より外には、すぐ きれいな海が見える
海は わたしたちにとって島々をつなぐ ハイウェイでもある―――――
・・・・・・
「そうそう、この『ハイウェイ』って表現を、いろんな人がしてたんだよね」。藤田君はそう切り出す。「フィリピンにはさ、すごく細かく島があるから、航路が“道”なんだよ。海が道になってる。その一方で、水害がすごく多くて、台風のことを名前で言えたんだよね。『台風何号』とかじゃなくて、その台風の名前で言えるわけ。ただ、参加者の皆が言ってる『台風』とか『洪水』って、それぞれ違う台風や洪水なんだけど、このテキストでは作家がまとめちゃって、ひとつの災害にしちゃってるんだよね」
藤田君は、実際に起きた出来事たちを拾い集めてフィクションを描く。つまり、フィクションの手前には、ひとりひとりの記憶がある。
「『cocoon』のことは、今の段階ではまだ置いておきたい気持ちもあるんだけど、あえてそこに触れるとすれば、『cocoon』では青柳いづみ以外全員死んでいくんだよ」。藤田君はそう語る。「つまり、全員が死ぬってことを描かなきゃいけないんだけど、今回の作品に向けて皆がオーディションで集まってくれたってことは、そこに介在するのは僕の意識だけじゃない気がしてるんだよね。たとえば、静流が『cocoon』で演じる“しずるちゃん”って子は死ぬことになるわけだけど、それはただフィクションとして、『藤田さんが創作した“しずるちゃん”が死んでしまう』ってことだけじゃない気がしてるんだよね」
上に引用したアルジェイのモノローグが終わると、場面はガレージに切り替わる。このシーンはまず、「ホープ」のモノローグで始まる。ホープは幼い頃、満月の夜に「ブランブラン」という鬼ごっこをして遊んだのだと語る。地面に大きな円を描き、その真ん中に線を引く。鬼は線の上を行き来して、他の皆は縁の中だけを移動して鬼から逃げる。その遊びは、満月の夜にだけする遊びだったという。
「月明かりのした 足うらにかんじた、土と水の感触を憶えている」。そんな言葉で、モノローグは締め括られる。ぼくは「ホープ」と会ったこともなければ、どんな風貌の人かすら知らないけれど、藤田君の描く“フィクション”を通じて、その記憶に触れているような心地がする。稽古場のある東京から海を渡った先に、沖縄があり、台湾があり、フィリピンがある。ハイウェイの先で過ごしている誰かのことを、小さな手がかりをもとに想像する。