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事務所の棚に、ボードゲームが山のように積まれていた。藤田君が料理をしているあいだ、みんなはボードゲームで遊んでいた。7月1日、最初の回に藤田君が選んだのは、「コードネーム」というゲームだった。

テーブルに25枚のカードを並べる。そこには単語が書かれている。プレイヤーはふたつのチームに別れる。それぞれのチームのリーダーは、キーワードを告げ、目当てのカードを引かせる。たとえば、「ギター」「ピアノ」「ドラム」と書かれた3枚を引かせたければ、「楽器」とヒントを出す。ただ、並んでいるカードの中に「ベース」も混じっていたら、これを引いてしまって、相手チームの得点となる可能性もある。このゲームは、リーダーのヒントと、皆の想像力が鍵を握る。

「これ、リーダーをやるのが下手な人同士の頂上決戦も見てみたいね」

「これまで、すごいヤバいリーダーって誰かいた?」

「波佐谷さんだね」と藤田君。「波佐谷さんって男性がいるんだけど、波佐谷さんがリーダーをやると、毎回『海』っていうんだよ。でも、海っぽいカードを選んでも、毎回外れるんだよね。波佐谷さんにとっての海がどんなものなのか、全然見えてこないんだよ」

2020年7月1日から、cocoonに向けたWORKが始まった。週に1度、メンバーを変えながら出演者で集まり、少しずつ言葉を交わしてきた。そこで話してきたのは、好きな食べ物や嫌いな食べ物のことだけでは当然なくて、藤田君はひとりひとりに海の記憶を尋ねていた。

「初めての海って、まきちゃんはおぼえてる?」

「お父さんが愛媛出身なんだけど、そこに帰ったときの海かな」。小泉まきさんが記憶をたどりながら答える。「そこは『サメが出ます』みたいな看板が出ているような海だったから、『あんま遠くには行かないでね』ってお父さんに言われてたんだけど。でも、私が選んだ水着がお父さん的に駄目で、泳げなかった」

「え、どういうこと?」

「ちょっと露出度が高くて、水着になることを許されなかった記憶。周りには誰もいないんだけど、『誰か来るかもしれないから』って。そもそも私は泳げなかったし、海がしょっぱ過ぎて、全然泳ぐ気にはならなかったんだけどね」

「そこはビーチになってるの?」

「ビーチみたいな場所じゃなくて、ごつごつした海なんだけど、父が小さいころによく行ってた海らしくて。そのときにはもう弟がいたはずだから、私はもう小学生になってたと思うんだけど。その日、弟が沖のほうまで流されちゃって、お父さんが泳いで助けに行ったの。それを見て、お父さんってめっちゃ泳げるんだ、って思ったのをおぼえてる。記憶にあるのはそれかな」

「小石川さんはどう?」

「どこだろう」と、小石川桃子さんはしばらく考え込んだ。「グァムの海と、大洗の海と、湘南あたりと、いろんな場所の記憶が混ざっちゃってるんですよね。海に行ったはずなんですけど、液体に触れた記憶がないんです」

「『液体に触れた記憶がない』ってどういうこと?」

「3か所とも、入ったはずなんですよ。でも、海に入ったって記憶が全然残ってないんです」

「海に行ったときって、誰に連れて行かれたのかおぼえてる?」

「グァムは家族旅行でしたけど、大洗はお父さんです」

「ああ、やっぱりお父さんだ」と藤田君が言う。皆の記憶を辿っていくと、お母さんに連れられて海に出かけたというエピソードは少なくて、お父さんに連れられて海に行ったという話が圧倒的に多かった。昔であれば、運転免許を持っているのは男性のほうが多かったということも影響していたかもしれないけれど、出演者には20代も多く、彼女たちが初めて海に出かけたときはそんなに遠い昔のことではないはずだ。こどもを連れて海に行きたくなるというのは――それも自分にとって思い入れのある海に連れて行きたくなるというのは――どういう心情なのだろうかと思いを巡らせる。

「大洗の海って、どういう記憶として残ってる?」藤田君が質問を重ねる。

「その日はたまたまお父さんに連れて行かれたんですけど、波打ち際に辿りちく前に、虫みたいなのに噛まれたんですよ。砂浜に変な虫みたいなのがいて、それに噛まれちゃって。そしたら、お父さんに『ここ、虫がめっちゃいるんだよ』って言われて」

「じゃあ、お父さんも行ったことある海だったんだね。え、小石川さんはまだ実家にいて、お父さんも一緒に住んでるの?」

「住んでます」

「そのときのこと、お父さんに聞いてみることってできる?」

「そうですね、しようと思えば」

「じゃあちょっと、宿題にしよう。他の皆にもやってもらいたいんだけど、記憶にある最初の海のことを、お父さんとかお母さんとかに聞いてみてほしくて。具体的に地図とかみながら、『ここだっけ?』って、どこだったのかを調べてほしい。なんで海に行くことになったのか、どんなふうに過ごしたのか、自分の記憶と親の憶は全然違うと思うから、次回までにそれを聞いてみてください」

2020年7月22日。この日もマームの事務所で作業をすることになっていた。でも、7月16日には東京都の新規感染者数が過去最多の286人となったことを受け、事務所に集まるのではなく、Zoomで個別にやりとりすることになった。286という数字をそこまで迫力のあるものだと感じていたのだなと、一年経った今では思う。

「うちの実家の村でも、感染者が出たって」。出演者の皆と繋ぐ前に、誰かがそう話しているのがパソコン越しに聴こえてくる。

「うわ、ますます帰れなくなるね」と、別の誰かが言う。「うちのあたりだと、誰かが帰ってきたらすぐバレるからね。絶対そうなんだよ。誰が駅にいたとか、すぐ噂になるからね」

ポコンと音が響き、Zoomの画面に小石川さんが映し出される。

「あ、小石川さん。おはようございます」

「おはようございます」

「えっと、こないだの続きになるんですけど、大洗の海に行った話、お父さんに聞けましたか?」

「聞いてみたら、お父さんも全然おぼえてなかったんですけど、ただなんか、日記があるらしくて」

「日記?」

「はい。お父さんはランニングが趣味で、走った距離とか書いてあるんですけど。それによると、2006年に大洗の海と大竹海岸に行ったみたいです」

「その日記、すごいな。その日の日記には何て書いてあったの?」

「海に行ったってことしか書いてなくて、あとは次の日の日記に、『背中が痛くて走れない』ってことが書いてあるぐらいでした」

「それは小石川さんのことじゃなくて、お父さんのことだよね?」

「そうですね。私のことには全然触れてなかったです」

「他に思い出したことはある?」

「そのとき、お父さんの突然の思いつきで海に行ったから、水着しかなかったんです。それで、液体に触れた記憶がなかったのは、たぶん浮き輪がなかったからだと思うんですね。周りを見ると、他の子たちは浮き輪を持ってて、『浮き輪ほしいな』って思ってた気がするんです。海慣れしてないから、いきなり素で入るのは結構無理があるじゃないですか」

「小石川さんって、プールだと泳げる?」

「泳げなくはないんですけど、陸で生活するのよりは全然不得意です」

体育会系の部活をしっかりやっていたことも影響しているのか、小石川さんの言葉には身体感覚が強くにじんでいて鮮やかだ。

「ぼくは海のある町で育ったから、プールだと泳げないけど、海なら泳げるんだよね」と藤田君。「なんだろう、海だと波が砂浜に戻してくれるじゃん。でも、プールは下にアスファルトが永遠に続いている感じがして、怖いんだよね。あと、巨大な浴槽に入ってるみたいで、澱んでる気がしちゃうんだよね」

大人になり、沖縄に頻繁に足を運ぶようになってからは、海と聞けば美しくて青々としたビーチを思い浮かべるようになった。でも、皆の記憶を聞いていると、ぼくも小さい頃は海が苦手だったことを思い出す。海から遠く離れた町に生まれ育ったせいか、しょっぱくて波がある海よりも、プールのほうが泳ぎやすかった。

「記憶の中で、これが最初かなっていうのは、小学校に上がったばかりのころで。茅ヶ崎かどこかの海水浴場に、親にむりやり連れて行かれました」。そう話していたのは中島有紀乃さんだ。

「むりやりって、どういうこと?」

「外に出るのがあんまり好きじゃなかったんです。だから、海に入りたかったわけじゃないんですけど、砂浜にいると暑いので、浮き輪で海に浮かびながら、『早く帰りたいな』と思ってました。家でできる遊びが好きだったから、それ以外のことに興味がなかったんだと思います」

須藤日奈子さんは、最初に訪れた海の記憶について、海藻がたくさん落ちていた風景から語り始めた。初めて訪れた海は、あまりきれいではなかった。海に連れて行ってくれたのは母親だった。「私」が波打ち際に立っていると、『写真を撮ってあげる』と母が言った。そう言われた「私」は、海を背に、砂浜でカメラを構える母を見ていた。はいチーズ、と言われた瞬間に高い波がきて、「私」はずぶ濡れになった。水着に着替えていたわけではなかったから、帰り道が大変だったと、後か親に聞かされた。

須藤さんの記憶では、波に飲まれる瞬間を写した写真が残っているはずだった。でも、探してみても、波に飲まれる数秒前の写真しか残っていなかったという。

写真は記憶を補強してくれる。時間が経って記憶が曖昧になったとしても、写真を見ると当時の感覚がよみがえることがある。

「お父さんに聞いてみたら、私の記憶が間違っていたみたいで、弟が溺れた日と、私が水着になることを許されなかった日は、全然別の日だった」。小泉まきさんはそう話す。

「それで――最初に行った海がどこだったのか、詳しい場所を聞こうと思って、Googleマップを見ながらお父さんに確かめたの。パソコンでストリートビューを見せながら、『どのあたり?』って。そこはお父さんが育った村の近くにある海で、そこは全部で40世帯ぐらいしかない村なんだけどね、その様子をストリートビューで見せたら、お父さん喜んじゃって。『この公民館、懐かしい』とか、『ここの神社で盆踊りしたんだよ』とか、泣き出しちゃって。お父さんが泣いてるの、初めて見た気がする」

そう語りながら、小泉さんはストリートビューの画面を見せてくれた。そこには小さな集落と、静かな湾の姿が映し出されていた。

あれから一年が経った。この原稿を書いている今、ぼくの前に、あの日ストリートビューで目にした風景が広がっている。波はほとんどなくて、とてもサメが出るような海には見えない。この海は、ぼくの目には、瀬戸内海らしい静かな海に見えるばかりだ。でも、誰かの目を通すと、数えきれない思い出が詰まった海になる。ここにどんな記憶が詰まっているのだろうかと思いながら、ひとりで海を眺めている。フェリーが音も立てずに横切ってゆく。

 

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