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cocoon log 6

2020年の春から、誰かと会って話をする機会がすっかり少なくなった。そんな状況になって思い返してみると、昔はいろんな人に会って、楽しく言葉を交わしていたかのように錯覚してしまう。でも、冷静に振り返ってみると、誰かとほんとうに言葉を交わすことなんてできていたのだろうか?

「中島さんは隠し事ができないんですか?」

藤田君が中島有紀乃さんに尋ねる。

「はい、できません」

中島さんが答える。

「それは――何でなの?」

「秘密を言われたとき、『言っちゃ駄目なんだ』と思うと、言いたくなっちゃうんです。それは別に、ゴシップを言いふらしたいとかじゃなくて。ほんとうに言っちゃ駄目な話を聞かされたとき、誰にも言わずに黙っておく人と、重圧に耐えきれなくて誰かに話しちゃう人がいると思うんです。皆はきっと、守ろうとするんだと思うけど、私は耐えきれなくなる。誰かに言いたいっていうより、重大なことを抱えていたくないから、逃したくなっちゃう」

「逃したくなっちゃうって?」

「重大なことが自分の内側にあるのに耐えきれなくて、外に逃したくなる。でも、私と違って、『大切なことはどうしても言えない』って人もいるんだと思うんです。重大なことは、外に出すより、自分の内側にあったほうが楽だ、って。その気持ちを想像することはできるんだけど、私はそういうタイプじゃないなと思います」

「重大なことが自分の内側にあったほうが楽だって人は、たしかにいるだろうね。でも、その感覚は理解できないんだ?」

「小中学生のときって、秘密をいっぱい共有するじゃないですか。誰かの秘密を知ったとき、特別仲良い子の秘密なら守るし、そんなに仲良くなければ守らないし――そうやってうまく選択できる人のほうが多い気がするんです。でも、誰かに秘密を言われること自体が耐えられない人もいて、自分もそういうタイプだって、あるとき気がついて。だから私はすぐに秘密を外に逃しちゃうんです。でも、私は外に逃せるからいいけど、秘密を自分の内側に抱えていることに耐えられないのに、秘密を外に逃すこともできないタイプもいるだろうから、その人は生きづらいだろうなと思います」

中島さんの言葉を聞いていた藤田君は、しばらく考えて、「今の話、面白いな」とつぶやく。

「先生ってさ、『何でも言ってね』って、口癖のように言ってくるじゃん。先生に限らず、親もそうだし、大人はそういう言い方をしちゃうよね。でも、先生とは共有できないことって、こどもたちにはあるはずだし、こども同士の中でも、秘密を言ってしまえるタイプと、内側に留めるタイプがいるはずで、その細かい話は面白いかもしれない」

そこまで話したところで、藤田君は立ち止まるようにしゃべるのをやめた。しばらく経ってから、「いや、わかるようでわかんないんだよ」と、藤田君はふたたび話し始める。

「僕は学校生活の中でいわゆる友達という存在がいなかったと思っているから、根本的にわかってないんだよね。小学校6年生までのほとんどの時間、担任の先生の隣に座らされてて、“隣の席の子”って存在がいなかったし。基本的にクラスメイトの輪のようなものに入れてもらえてなかったからね」

「休み時間は何してたんですか?」と、青柳さんがなぜか敬語で尋ねる。

「わかんないけど、絵だけはうまかったみたいで、休み時間もみんなが普通の授業を受けている最中も絵を描かされてたの。小学校5、6年のときは2年間、ほんとに誰ともしゃべんなかった記憶があるね。中学になったら他の小学校の人たちと合流したことで、その人たちと友情めいたものが芽生えたのを感じたことも一瞬あったけど、その頃はもうとにかく演劇に打ち込んでいて、そればっかりを考えていたから、結果として学校行事とかそういうのに打ち込めなくて。だから、小学生とか中学生のときのことを考えようとしても、自分の経験と擦り合わないんだよね。なんか、全部フィクションで観たものを通じてしか考えられないんだよ」

藤田君の言っていることは、どこかわかるような気がした。たとえ自分が経験した出来事であっても、それは一体何だったのかを確かめるためには鏡が必要だ。物語は、わたしたちのたった一度きりの人生とは何であるのか、立ち止まって考えるための鏡になりうる。その鏡には、ありえたかもしれない人生や、自分とはまるで違う誰かの姿も映し出される。わたしたちは、どこかの誰かのこと、物語を通じて想像する。

あの日、中島さんの話に耳を傾けていた皆は、心の中で何を思っていたのだろう。

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