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cocoon log 22

2月18日。皆の海の記憶をもとに藤田君が綴ったテキストを、何度も繰り返して演じてみる。この日は稽古場に、『cocoon』でずっと音楽を担当している原田郁子さんの姿もあった。17時を過ぎると、今日も作業は終わりを迎える。皆ふたりひと組になってストレッチをして、身体をクールダウンさせている。

 

「ひとりひとりの初めての海の話を聞いていて思ったのは、あんまり昔の話に聞こえなかったんだよね」。郁子さんが言う。「例えばその人が海で『怖い』と思った記憶があったとして、そのことを今も覚えていたり、どこかに小さく影響しているんだとしたら、それは過去のことではあるけれど、今のことでもあるような気がして。そういうディティールにどんどんズームしていったときに、『cocoon』と繋がったら、すごくリアリティがあるよね。これがいつの話なのかってことを言わなくても、途中でサイレンの音が聴こえてくるだけでも――」

 

「ああ、それは面白いね。去年の3月に、東(岳志)さんとフィールドレコーディングに出かけたときに、工事の音が聴こえてたじゃん」

 

「あったね。ぴしっ、ぴしっていう音」

 

「あの音、ほんとに一瞬ピストルの音に聴こえて、めちゃくちゃ怖かったんだよね」

 

「うん。だから――3回目の『cocoon』になると、言わなくていいことも出てくるのかもしれないね」

 

「そうそう。今のコロナの状況の中を過ごしていて思うのはさ、当時の人も四六時中戦争の話はしてなかったのかもしれないんじゃないかって気がするんだよね。『あの人が濃厚接触者になったらしい』みたいな話題はあるにしても、戦争が始まってしばらくのあいだは、結構他愛もない言葉の中で生きてたのかもしれないなって思うんだよね」

 

「冗談を言って笑ったりする瞬間もあったかな。初演と再演のときは、コロナがなかったんだもんね」

 

「初演と再演のときは、もっと昔のことを想像してた気がするんだけど、今回は不思議と現在に集中できてるというか、現在に置き換えられる気もしてて。震災のときにもいろんなことを考えたんだけど、コロナが震災と違うなと感じるのは、震災に対しては東北から離れれば離れるほど、温度差があったと思うんだよ。うちの両親に電話してみても、『ああ、大変らしいね』ぐらいの感じだったしさ。でも、コロナは日本列島全体に、ある程度は同じレベルで降りかかってる感じがする」

 

「世界中で起きていて、ね。それで、こう、終わりが見えないんだよね」

 

「だから――もちろん戦争とコロナは全然別の出来事だとわかってるんだけど、戦争のときのことにも置き換えられるなと思うところがあって。日常への溶け込み方とかもさ。コロナに対する『怖い』って感覚もさ、去年の春と今でも違うし、コロナ禍って時間の中にも細かくあるじゃん。だけど、たとえば50年後とかになると、『今からずっと昔に、コロナウィルスってものが』って大掴みに語られて、この細かいことは語られないことになると思うんだよ」

 

「そうだね。最初はすごく怖かったし、今も怖いけど、人ってずっと怖がっても生きていけなくて。そうすると、時間を追って変わっていくんだね」

 

「コロナにしても戦争にしても、変わらず怖いものではあるはずなのに、そこを生きていると恐怖の設定を変えてしまうから、怖いかどうかもわからなくなってくるんだよね」

 

「そこから付随することに、怒りを感じることがあるけれど。そういう感情も変わっていく、刻々と」

「1回目と2回目の『cocoon』のときに僕が考えてたのは、そこにはひとりひとりの顔があるんだってことで。『戦争は悲惨だ』とか、『何人が死んだ』とかって言葉になると、相対的になってしまって、ひとりひとりの顔が見えなくなっちゃうなと思ってたんだよね。でも、今回はもっと細かいことを考えられている気がする。たとえばガマにいるとき、そこに兵隊がたくさんいたんだとしても、そこで『この男の人は小柄だな』とか、『この人はたまに優しい話し方をしてくれる』とか、そういう細かい感情があったんじゃないかって気がしてるんだよね」

 

「うん、うん。たとえば『近所の人の目が怖い』とか、『自分の家族がいなくなってしまうかもしれない』とか。もっと身近なこととして、怖さってあったのかもしれないね。もちろんその先には戦争があるんだけど」

 

「それで言うと――こないだ『かがみ まど とびら』の稽古をしてるときに、郁子さんが心臓の音や秒針の話をしてくれたじゃん。あの話を思い返してたんだけど、今日さんや郁子さんと初めてガマに行ったとき、ずっと低い耳鳴りがしてたんだよね。これは精神的な話じゃなくて、物理的に耳鳴りがしてたの。20代のときは、その感覚を表現したくて音圧で空間を埋めてたけど、ガマの中にいるときの怖さって、あの空間の静けさだと思うんだよ。その静けさの中で、誰もが耳を澄ました状態にあったんだと思うんだけど、それを劇場に作れたら面白いな、と。『かがみ まど とびら』のときからずっと考えてるんだけど、無機質にリズムが刻まれていく音って怖いと思うんだよね。水滴の音が一定のリズムで聴こえてたり、誰かの心臓の鼓動が聴こえていたり、懐中時計の音が聴こえてたり――」

 

「規則性って、安心にも恐怖にもなりえる。ガマの中で懐中電灯を消すと、目をつぶってもあけても真っ暗だったね」

 

「そうそう。その暗闇の中で息を潜めていたら、水滴の音が一箇所だけ気になるとか、そういうこともあったんじゃないかと思ったんだよ。水滴が鳴らす音でさえうるさく感じたんだとしたら、それってすごい怖いことだな、って。音圧とか音量みたいなことじゃなくて、音が鳴ってる存在感で表現できることがある気がする。あと、『cocoon』で『Walking in the Rhythm』を使いたいと思ったのも、そういう意識がどっかにあったんだろうけど、今はまた違う感覚でリズムって怖いなと思ってるんだよね。たとえば学校のシーンで、最初は皆がわちゃわちゃ楽しげに歩いてるのに、そのシーンがリフレインされたとき、フォームは同じなのに全員が同じリズムで歩いてるとか、ルーズさがなくなって一つのリズムに足並みを揃えるとかっていうのも、すごい怖いと思うんだよね」

 

「もはや自分のテンポじゃなくなって。スキップみたいに弾んでいた子が、もう全然違う歩き方になってる」

 

「同調圧力というか、リズムが合わさっていく怖さってあるなと思ってるんだよね」

ふたりが言葉を交わしているあいだも、出演者の皆はクールダウンを続けている。ペアを組んだ相手と楽しそうに言葉を交わし続ける皆の声が、稽古場にずっと響いていた。

 

 

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