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interview

今日マチ子×藤田貴大 cocoon 2022 対談 後半

──cocoonという言葉は、日本語に訳すと「繭」になりますけど、繭というモチーフはいろんなものに当てはめられる気がするんです。藤田さんは『cocoon』を舞台化するなかで考え続けてきたものがあるはずだと思いますし、今日さんも『cocoon』以降の作品で地続きに考え続けていることがあって、執筆中の『かみまち』にも蚕が描かれています。おふたりが繭というモチーフを通じてどんなことを思い描いているのか、伺えますか。

今日 たしかに私はずっと、繭的なものを破っていくってモチーフを描いていて。「人間はやがて大人として完成するものだ」って幻想が自分の中にあるんですけど、大人になってみると、自分がいつ完成するのか、繭を破るのかっていうのが全然見えないんですよね。「大人になった」と思える瞬間があった人っていると思うんですけど、私自身はまだ見つけられてなくて。作家人生は長いので、じわじわ考えられたらいいなと思いながら、毎回同じようなモチーフを出してます。

藤田 ちょっとまわりくどい言い方になってしまう気がするんですけど、僕の母方のおばあちゃんの実家が群馬の山奥にあって、その日本家屋の屋根裏で蚕を飼っていた記憶がこないだいきなりよみがえったんですよ。ビタビタビタビタって雨みたいな音がして、何なのかなって思ってたら、「上でイモムシ飼ってんだよ」って言い方をされたと思うんですよね。僕はまだすごい小さかったんだけど、「さなぎになったら、中がゲル状になって、そのあとに内臓の位置が決まっていくんだ」みたいなことを、タバコをよく吸うおじいさんがいきなり僕に語り出して、何それ、気持ちわる、って。

──改めて考えても、その過程ってすごいですよね。

藤田 これは対談のたんびに言ってますけど、『センネン画報』のイメージだった今日さんが長編の物語を描いたってことで、自分がバイトしてた本屋に入荷したのが僕の『cocoon』との出会いだったんですよね。入荷したときは“cocoon”という言葉が“繭”って意味だとわかってなかったんだけど、読み進めていくうちに、ああ、そういうことかと気づかされて。自分の作品の中に蚕って要素があったわけではないんだけど、まだバイトしていた頃のマームは「少女性」という言葉で語られることが多くて。そう語られたり、片付けられることへの違和感はその頃からあったんだけど、でもこどもから大人へと変容していくってなんだろうと考えていたんだと思うんですよね。あれから10年ちょっと、“cocoon”って言葉/“繭”ってモチーフが自分の作品とどうオーバーラップするか考え続けていますね。たとえば町を出ていくとか、空間の話として捉えることはできるんだけど、こどもから大人になるってどういうことなのか、まだ自分でもわかってないところがあるから、そのモチーフにずっと向き合っているんだろうと思います。初演の『cocoon』が9年前だから、今日さんと『mina-mo-no-gram』を描いてたのが10年前ですもんね。

今日 共同作業が大変だったんですよね。きつかった。

藤田 僕も小倉で滞在製作してたりして、それはそれで大変だったんですけど、それがちょうど10年前だから、かなり長いこと一緒に作業してるなと思いますね。

 

──さっき「わからない」って言葉もありましたけど、わからないから描き続けるのかなという気もするんですね。『cocoon』はひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた作品ですけど、沖縄戦の時代を生きていたわけではないから、その時代のことは資料や証言を通じて触れることしかできなくて。稽古場にはたくさん資料も並べられていて──そこには今日さんが描いた『cocoon』が道標のようにあるけど、今日さんがそれを描くために歩き始めた瞬間のことを思うと、沖縄に縁もゆかりもないところから、沖縄戦に着想を得た作品を描こうとするという、その道の途方もなさについても想像するところがあって。

今日 すごく覚悟が要ったのはたしかで。作品を描くことで批判がくることもあるだろうなと思ったんですけど、批判によって自分が潰れちゃうのが怖かったです。自分の中にはこういう思いがあって、こういうものを見てつくりましたってことはちゃんと言えるようにしておこうっていうのはありました。

藤田 那覇に新しい劇場ができて、そこのこけら落としとして『Light house』って作品を作ったんだけど、そのとき初めて『cocoon』を描くことになったときの今日さんと金城さん(『cocoon』担当編集者の金城小百合さん)の気持ちになったかもしれないですね。今日さんと金城さんがやってくれたことの先に舞台化があるから、そこは今日さんにおんぶにだっこな部分も若干あったんだけど、初めてゼロから沖縄のことを描いてみるってことをしたときに、かなりの緊張感があったんですよね。あてられる言葉のシビアさとか、実際にあの土地で亡くなってる方の多さを考えると。でも行くたびに自分の中にはない感覚が呼び起こされるから、ほんとに不思議と描きたくなる土地だなと思うし、今日さんが『cocoon』に熱中した理由もわかるなと思うんですよね。

2021年6月沖縄の喜屋武岬にて

今日 その難しさは、『cocoon』を描いたあとに気づいたんです。沖縄にコミットしてる人として分類されてしまって、現代の沖縄について「どう思いますか?」って聞かれ続けることになるんですけど。土地の者でもないのに、これが正解だって答えを出すこともできないし、常に東京から沖縄を見てる負い目があるな、と。

藤田 那覇で『Light house』を上演したときも、終演後のロビーで例のごとく囲み取材になるんですが、「え、さっきまで客席にいて、僕の表現を見ていたんですよね?」って聞き返したくなるような質問を浴びるんですよね。そこで求められる言葉を一言で言えないから表現をしているのに、表現よりもずっと簡潔な言葉を求められてしまう。その部分を言葉にするのだとしたら、たとえば「もちろんそれには反対します、反対です」って端的な言葉以外はなくなってしまうんだけど。その瞬間、ややこしく描いていた複雑な観点が消えてしまうというか。

──今の話って、どこかの土地をモチーフに描くのではなくて、まったくのファンタジーを描いているときには生じないことだと思うんですよね。現実にあるどこかの土地やかつて起きた出来事を描こうとすることは大変な仕事だと思うんですけど、どうしてわざわざその大変な道を選ぶんでしょう?

藤田 今こうやって今日さんと話せてるのはタイミング的にもすごく良いなと思いながら話してるんですけど、『cocoon』を描いた頃の今日さんのメンタリティを想像すると、そこには「沖縄出身の金城さんから、ひめゆり学徒隊の話からなにか描けないかと依頼があったから」っていう制作的な理由はあるのかもしれないんだけど、純度の高い作家性だけの話になると、今日さんが沖縄を描くことを選んだのは「依頼されたから」とかってことじゃないような気がしてるんですよね。そこがどんどん理解できるようになってきてるというか。

──理解できる?

藤田 対談の冒頭でも話したように、日常とか普通とか日々の当たり前の風景とかっていうものは大切にしているし、それ以上のことってこの世界にはないなっていう感覚があるんです。僕もワークショップなどでいろんな人の声を聞いていると、「この言葉が聞けたんだったら、僕があえて描かなくてもいいな」と思える言葉に出会ったりもするから、普通とか日常に敵うものってないなと思うんです。ただ、人間に生まれてしまったから出会うことになる社会の仕組みとか世界のからくりとかっていうものを自分の中に事実として受けとめて、通しておかないと──「日常を描く作家」という純朴性だけがあってしまうと、それを10年も20年も続けていくと、そこの純度も落ちていくんじゃないかと思うんですよね。日常とは異なる時間や、なにかが急に過剰になってしまった/理不尽さがまかり通った時間っていうものに手を伸ばして触れてみないことには、日常に帰ってこれないというか。そこの行き来は大切なんじゃないかってことを、当時の今日さんは考えていたんじゃないかなってことを想像するんです。2013年に『cocoon』を舞台化するってことが決まった時に、始まってみるとほんとに覚悟が必要な作業だったんだけど、『cocoon』を公演したあとに自分のオリジナルの作業に戻ってみると、やっぱり全然、日常もその裏に在る世界もひっくるめて、それを見つめるまなざしが違ったんですよね。つまり、まるで観点が変わったんです。

今日 『センネン画報』を描いてた頃って、「ゆるふわで素敵な絵を描くイラストレーターなのか漫画家なのかよくわからない人」みたいな印象で語られていたと思うんです。『センネン画報』の最初の回って、9.11のテロについて描いてるんです。だから、もとから社会的なことには興味があったんですよね。ただ社会的なことを社会的に描いてもしょうがないので、いかに自分とくっつけていくかってことはずっと考えてました。そこがフィクションの醍醐味で、現実に起こったこととフィクションをうまく繋げていく。作家としての挑戦ってそこだと思うんですよね。ウクライナへの侵攻もそうですけど、ありえないことが起きたときに、フィクションの力で自分たちのところにそれを持って帰ってくる。それができるのが想像の力だと思うので、飛距離を伸ばしていくというか、そういうことをずっとやっているんじゃないかと思っています。

藤田 3回目の『cocoon』に取り組み始めて思うのは、さっき今日さんが言ってくれたことでもあるんだけど、今の10代の子が『cocoon』の文庫本を手に取ったり、僕がつくる舞台を観にきてきてくれたりしたときに、自分とかけ離れてないと思ってもらえるかどうかというのがひとつのミッションでもあるなと思うんですよね。社会の時間に77年前の戦争のことを学ぶって距離感とか、修学旅行で沖縄に行って資料館を見学するってことも、事実を勉強するって意味では大切だと思うんです。でも、遠い話のようにそこに触れるんじゃなくて、隣にいる子を想像するように、あの頃の時代を生きた同い年くらいの子たちの日常を想像するってことは、フィクションを用いないとできないんじゃないかと思っているんですよね。

2015年『cocoon』

──今の話で思い出されるのは、去年の夏に今日さんが読売新聞の「空想書店」に寄稿されていたときのことで。そこで今日さんは#Stayhomeのシリーズについて、「日記代わり」に描き始めたものだと説明した上で、「私にとっては描いたものはすべてフィクションになった」とおっしゃっていて。それはきっと、今日さん自身が目にした風景を描いたものに対して、読者から「自分の生活が描かれている」という感想が届いたこととも繋がっていることだと思うんですけど、おふたりがフィクションを誰かに手渡すときに託されているものについて、最後に聞かせてもらえますか。

今日 私は基本的に、自分個人の思いや体験を作品に反映したり、自分の怒りを作品で表現したりすることは全然なくて、ただ、誰かに渡したいって気持ちでやっているんですよね。『センネン画報』にせよ、#Stayhomeのシリーズにせよ、自分が見てきた風景なんですけど、渡した途端にその人のものになってしまう。以前高橋源一郎さんと「写真を見てしまうと、それが自分の記憶にすり替わってしまうことってあるよね」ということを話したことがあるんですけど、たしかにそれは人間の不思議な能力だなと思ったんです。自分が体験したことって実はほんとに狭いことなんだけど、人に差し出すことで世の中がどんどん膨らんでいく。そういう気持ちでやっているので、描いたものがフィクションになることについてはあんまり悲劇のようには思ってなくて、むしろ私が蒔いた種を皆が勝手に育てて森にしてくれているというような、そんな気持ちです。

藤田 それで言うと、最近思ってるのは、観客ひとりひとりの中にそもそもフィクションの種があるってことなんですよね。観客も自分っていうリアルを生きながら、自分のことを作品にしている節があって、Twitterとかブログとかって自分を作品にする作業でもあると思うんです。ひとりひとりの中にフィクションの種みたいなものはあるから、そこにどうやって水をあげて育てるのかってことでもあるのかな、と。だから、「こういうフィクションがあるんだ」ってことをゼロから100まで僕がやる必要はあんまりなくて、ここは普通わかるよねっていうことの種は観客の中にすでにあって、そこに水をあげたり肥料をあげたりするような作業をしていくことで、「ああ、これってこういうことだったのか」って気づいてもらう。演劇はそういう作業でもあるのかなと思います。

(聞き手・構成 橋本倫史)

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