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interview

原田郁子×藤田貴大 cocoon 2022.5 対談 前半

――2年前の『文學界』で、藤田さんと郁子さん、それに今日マチ子さんと3人で鼎談を収録したとき、郁子さんは「二年後に『cocoon』をやれるとしたら、コロナで感じたこととか見たものとかも、おのずと含まれてくるんじゃないかな」というお話をされていました。あれからの2年間、おふたりがどんなことを感じながら過ごしてきたのかというところからお話いただけたらと思います。

藤田 あの鼎談のとき、郁子さんとも久々に会ったんですよね。郁子さんもクラムボンも、めちゃくちゃライブが飛んでて、僕も公演ができない状況になって。ちょうど鼎談の前の日に、フジロックの開催中止が発表されたんですよね。

原田 そうそう。そうだった。

藤田 ライブができなくなって、演劇も音楽も観客を集めることの難しさに打ちのめされてる時期だったから、郁子さんも結構落ち込んでいたと思うんだけど。

原田 うん。あの、今日ようやく稽古場に来れて、「ああ、集まれてる!」っていう感動がまずはあったんですよね。マスクはしてるけど、皆でこうやって集まって、本番に向けて稽古をして、話したり笑ったりできるとこまできたんだな、って。でもこの2年って、2年じゃないような――もっと経ってる気がする。

藤田 そうだね。もっと経ってる感じがする。

原田 誰が意図したものでもなく、2020年に『cocoon』はできないことになってしまって。誰も想像していなかった今――一今年の夏に『cocoon』をやるんだなと思いながら、稽古を見てました。戦争というものの見え方や受け取り方が、去年とも一昨年とも全然違うものになってしまった。

藤田 2年前って、『cocoon』の前に『かがみ まど とびら』って作品を郁子さんと一緒につくることになってたんだけど、その作品ももちろん延期になったんですよね。去年の夏になってようやく、『めにみえない みみにしたい』と『かがみ まど とびら』をツアーすることができて、2ヶ月半かけて全国をまわることができて。

――おふたりの仕事は、人を集めるってことについて考えさせられる仕事でもあるんだろうなと思います。人を集めるってことに対して、今どんなことを感じてますか?

藤田 これは僕からも郁子さんに聞いてみたいんだけど、コロナ禍になって、クラムボンってバンドの単位で3人集まることですら難しいタイミングもあったと思うんですよね。あるいは、吉祥寺の「キチム」っていうのも人が集まる場所で――コロナ禍の直前の12月に、『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』を「キチム」で上演しましたけど、あのときはぎゅうぎゅうに観客を入れてやってましたもんね。あの公演も、今となっては夢の公演みたいな感じになってますけど。郁子さんは、あの頃のあの状況というか、ニュアンスを思い出してみて、現在どう思いますか?

原田 うーん、まだ言葉を失ったままの状態ではあるんだけど。演者として、それから「キチム」は妹がオーナーをやっているから、場所を持つ側として、双方の打撃があって、今も変化しながら、つづいてて。ーーほんとうに、「集まらないでください、家にいてください」ってそんな経験を人生でするとは、思わなかったよね。自分はひとりで黙々と作業する時間もあるけど、やっぱり人と集まることで生まれることをやってきたんだなって思うから。集まることが、すべてだったと言ってもいいくらいで。そのくらい、ライブっていうものに賭けてきて。演劇もそうだと思うんだけど、自分たちが「いい」と思えるところまで準備できたら、やっぱり「ぜひお越しください」って言いたいし、その場所に来てもらうことでようやく成り立つものだから。それが危険なことになるなんて、想像もしていなかった。集まるってなんだろう、どれほど特別なことだったんだろうって。

藤田 コロナ禍以前から郁子さんとはずっと、場と表現の関係性とか行き来について考えていたと思う。それは公演をするということに限った話じゃなくて、『めにみえない みみにしたい』と『かがみ まど とびら』っていうこども向けの作品を作ってるときも、「こどもが劇場に集まるってどういうことだろうね?」ってところから話し合っていて、その場に集まった人たちの距離についてずっと考えてた気がする。だから、こういうふうに人を集めること自体を封じられてしまうと、「今まで何を考えてたんだろう?」って思っちゃうというか。iPhoneとか見てると、何年か前に郁子さんと一緒に博多の屋台に入ってビールを飲んでる写真とか出てくることがあって(笑)

原田 (笑)中洲の屋台が組み上がるところから一緒に見てね。

藤田 それは当然コロナ禍前の写真なんだけど、ふたりともバカみたいな笑顔でビール飲んでて、めちゃくちゃ昔の写真みたいに思えるんですよね。

原田 ほんとにもう、断絶された感じだよね。マームとツアーに出たときの写真も、自分のバンドのツアーの写真も、しばらく見れなかった。

藤田 それ、マジでわかります。iPhoneのトップ画面に、いきなり昔の写真が出てくるシステム、やめて欲しいんですよね。

原田 「一年前の今日」みたいなね。それで言うと、cocoonが延期になって、「2年後の公演を目指します」と聞いたときも、「2年後?」ってあまりにも先がわからなかった。でも、「2020年に公演があったらできなかったことがあるはずだから、そこにかける時間をもらえたっていうふうに捉えよう」ってことは藤田君と話した気がします。

藤田 そうですね。そこから郁子さんには作業をさせっぱなしで、『cocoon』の「WORKS 2」に関しては、半年ぐらい取り組んでもらいましたよね?

原田 そっか、うん。でも、私としてはあの作業があったから、精神的には助かったかもしれない。

藤田 (召田)実子が撮影した映像に合わせて、俳優の皆の声を郁子さんに録音してもらって。

原田 だから今日、稽古場でキャストの皆の声を聞いていて、何度もはっとしました。「あ、チンクイの人だ!」って(笑)

藤田 「WORKS 2」をやれてよかったなと思うのは――それは郁子さんに音のことを考えてもらう時間でもあったんだけど――郁子さんはそこで俳優の皆の声と出会ってたんですよね。稽古が始まる前の段階で、郁子さんがひとりひとりの声をいちいち録音してくれる時間があったのは、初演とも再演とも全然違うことだなと思います。

――「WORKS 2」で皆の声を録音するってアイディアは、どこから出てきたんでしょう?

藤田 最初の段階では、俳優の声は使わずに、東さんにフィールドレコーディングしてもらった音と、そこに郁子さんのシンセの音を合わせるってことでいいんじゃないかって話してたんです。

原田 サントラ的な音を何かって。

藤田 でも、郁子さんの中でも徐々に「声を録音してみたらどうか」って方向になって。使う/使わないは別にして、一回録音してみようってことになったんですよね。

原田 今、話しながらちょっとずつ思い出してきたけど、2020年に『cocoon』が上演できなくなって、皆と会えない時間が長かったんだよね?

藤田 そうそう。何回も集まろうとしたんだけど、「いや、やっぱり今はまだ集まれないよね」ってことでリスケが続いて。やっと皆で集まれたのが2020年の冬だったんです。

原田 藤田君がひとりひとりに「初めての海って覚えてる?」って聞いて、それを台詞にしていて。映像を撮影するときも、皆がその台詞を言ってたんだよね。

藤田 僕が皆の記憶をもとに書いたテキストを言ってもらいながら、その海をイメージして動いてもらったんです。

原田 その様子を見せてもらったとき――役者さんにとって、舞台の距離感ってあると思うんです。目の前にいるたくさんのお客さんに届くような声。でも、その声だとちょっと強いような感じがして、もうちょっと内側にある声ってことを藤田君と話したんだよね。「心の中で独り言を言ってるぐらいのトーンって難しいかな?」って。外に向けて言っているんじゃなくて、自分の内側で思っているようなことを録音してみよう、って。

――皆の声は、どんなふうに録音したものだったんですか?

原田 稽古場の小さな部屋にひとりずつ来てもらって、全員にお願いしたことは、「誰にも言っていないように言ってください」っていうことで。もしかしたら自分でも聴いたことがないトーンの声かもしれないんですけど、そのくらい、ただぽつんと。だから、私が皆の声と向き合っているようだけど、本人たちが向き合うことにつながっていたのかもしれないなと思います。

藤田 『cocoon』に限らず、郁子さんとずっと話してるのは、静けさとか、誰にも言えずにいる音みたいなことをどうすれば表現できるかってことで。音圧や音量で盛り上げていくみたいなことじゃなくて、それ未満のこと。一番最小のことをうろうろ話しているような気がします。

原田 自分も藤田君も、人が集まることで何ができるかっていう現場に身を置いているけど、ほんとは集まることが苦手っていう(笑)。複数の人が同じところにいると、声が大きくて明るい人が目立つけど、なかなか声が聴こえづらい人もいるし、いていいし、ってことを考えるんです。「WORKS 2」の作業が始まってすぐ、藤田君に電話かメールで言ったんですよね。「ひとりひとり全然違っていて、おもしろい」って。

藤田 そうそう。連絡くれましたよね。

原田 話す声のトーンとか、話すテンポとか、間、どこで句読点を打つかとか。エンジニアさんみたいにはできないけど、ある程度ノイズを取り除いたりって磨く作業をずっとしていて、「こんなにも違うのかー」って。そのことに感動したんです。

藤田 「WORKS 2」はあえて平坦に撮影したんだけど、そこに個が見えてきたほうがいいとは思っていたんですよね。それを考えると、これまでの『cocoon』について反省するところもあって。戦争やその悲惨さを描くときに、ほんとは一番避けたいことでもあったはずなのに、再演の『cocoon』まではなんとなく個を消す作業みたいなことを微妙にやってしまっていたんじゃないか、って。

――個を消す作業?

藤田 資料館の展示を見ていても、その人の小さな声を――声よりももっと小さい、脈拍とか心音みたいなところまで感じざるをえないのに、表現ってボードにのせると「観客に聴こえづらいから、大きい声を出そう」ってことになってしまう。表現として必要になる強さと、描きたいものの微細なトーンが矛盾し始めることに、コロナ禍になって気づかされたところもあるんですよね。マームとジプシーのモードとして加熱していってたところが、急激に冷やされたというか。

――たとえばノンフィクションとして、これまで誰にも聞き取られてこなかった言葉を拾い集めるという仕事ってあると思うんです。この稽古場に並んでいる、沖縄戦をめぐる証言集っていうのも、そうして拾い集められたものだと思うんですね。でも、ノンフィクションとしてではなくフィクションとして、誰にも聞き取られなかったかもしれない小さな声や、語られることもなかった言葉を描こうとするのはなぜでしょう?

藤田 たとえばひめゆり学徒隊のことがこうやって本にまとまってますけど、ガマを出て逃げてる瞬間には、それが77年後にまで語り継がれることになったり、それが本にまとまって人に手渡せるものになるってことは想像してなかったと思うんです。でも、それからあとの時代に、小さい声をひとつひとつ拾い集めて繰り返した人たちがいるから、こうして本にまとまってるんだなってことを思ったんですね。僕がやりたいことも、そのレベルのことだと思っていて。

――そのレベルのこと?

藤田 この16人のキャストの小さい声だとか、多くの人にはどうでもいいように思われてしまうことを僕が拾い集めて、はっきり言いますけどそれをリフレインさせることで、そこに意味が出てくる。そうすることで、すごく小さかったところから、とんでもないところにまでリーチできるようなわくわくがあるんです。ひとりひとり小さな日々を送っている人間がひとつの場所に集まったときに、その小さな日々にフォーカスをあてようとする人がいて、その人がしつこく繰り返し始めることで、なんともない日々のことが違うところまでにつながっていく。それ自体がもう『cocoon』になってる気がするんですよね。今のウクライナ侵攻のことも、記事にしたときに大きな言葉になりやすいことが伝わってくるんだけど、ほんとうに語られるのは終わったあとだって気がするんです。こういうこともあった、ああいうこともあった、って。そこでリフレインが始まると思うんですけど、そこと自分が今つくっている空間を重ねているところもあるんですよね。


稽古が始まった5月。『cocoon』上演に向けて、作業が重ねられていた。藤田さんはいくつもの手記や証言を読み返して、小さな声に耳を澄ませていた。稽古場を訪れた郁子さんは、沖縄で歌い継がれてきたわらべうたが収録された本を手にしていて、出演者の皆と一緒に歌っていた。誰かが書き残した言葉や、誰かが語った小さな声、誰かが歌っていたメロディに耳を傾けながら、誰にも語られることのなかった小さな声を探し当てようとしていた。

聞き手・構成:橋本倫史