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藤田貴大単独インタビュー ♯1

──3度目の上演となる『cocoon』は、当初は2020年夏に公演を予定していました。春から新型コロナウイルスの感染が広がり、その年の上演は中止にすると決めたとき、出演者の皆を新宿に呼んで、その旨を伝えたのは5月のことだったと記憶しています。あれから丸2年が経って、いよいよ『cocoon』の稽古が始まるタイミングを迎えて、どんな心境でいますか?
藤田 昨日が『Light house』新宿公演の楽日だったんだけど、それを観ているときにはもう、『cocoon』のモードになっていて。初演から10年近く経ってるわけですけど、ひとつの土地に出会ってしまうことが、自分の人生の何パーセントかに差しかかるくらいのことなんだなと思って、ちょっと怖くなったんです。

──怖くなった?

藤田 この10年、『cocoon』だけやっていたわけじゃなくて、『Light house』みたいな作品もできたし、作品をやっていなくても沖縄のことがどこか念頭にはあって。そうなってくると──そこに重いも軽いもないとは思っているんだけど──他の土地とは違う感じで人生に横たわってきてる感じがするというか。60年とか生きるんだとしても、10年っていうと6分の1は沖縄のことを考えているわけだから、やっぱりすごいことだなと思いながらも、『Light house』の楽日を観ていたときに、やっと覚悟が決まってきた感じがしたんです。

──覚悟というと。

藤田 『cocoon』って、2013年の初演のときだと、まだ公演をやってる期間中に「再演してほしい」と劇場側から言われていたし、公演が終わった数ヶ月後には今日さんと郁子さんと「再演しよう」って話をしていて。2015年に再演をして、なんとなく初演よりはやりきった感覚があったんだけど、「この世界って何も変わってないな」ってことに気づいたんですよね。それで、もう一度再演をやってほしいって話が東京芸術劇場からきて──そのときは「もうこれで終わりだから」って気持ちと「やっぱりやらなきゃな」って気持ちがほとんど同等に自分の中にあったんです。でも、「やっぱりやろう」ってことで2020年を迎えたんだけど、今になって振り返ってみても、あのタイミングでツアーはできなかったなと思うんですよね。『Light house』の際に、コロナウイルスの陽性者が出てしまったことを振り返ってみても、『cocoon』みたいにたくさんキャストがいる演目だと何かしら起こるよねってことは未だにあるんだけど、それとは別のところで覚悟が決まった感じがあって、やるかどうかで悩む次元ではなくなりましたね。

──悩む次元ではなくなったというのは、何が変わったんでしょうね?

藤田 2月から3月にかけての池袋のシアターイーストで終わりじゃなくて、LUMINE 0で『Light house』をやれてよかったなと思ったのは、来週から『cocoon』の稽古だっていうギリギリの段階まで自分の作品が劇場にあってよかったなと思ったし、楽日に『Light house』のチャプター4を観たときに、それを変に『cocoon』と繋げたくないっていう前置きはあるんだけど、「やっぱりもう、『cocoon』ではこれ以上のことを言ってかなきゃいけない」ってことを思ったんです。

『Light house』 撮影:岡本尚文


──チャプター4では、水を媒介にするようにして、地下へと──いつかのどこかの時間へと作品世界が繋がっていきます。このチャプターでは、どこかの島に暮らしている少年が上陸してくる兵隊たちの姿を目撃したり、ガマの中にいて「学生さーん」と呼ばれる声を耳にしたりと、沖縄戦を想起させる場面も描かれています。

藤田 『Light house』は、『cocoon』みたいに77年前の戦争ってだけでやらないように、ちょっと話をずらしていきたいとは思っていたんです。でも、楽日のチャプター4を見てたときに、もっとそれを引き伸ばしてやんなきゃなと思ったし、その先に見えるものがあるんじゃないかって思えたんですよね。そこって実は、2020年の段階ではまだ振り切れてなかった気がするんだけど、今はもう、延期されようが中止になろうが、やるものはやるって気持ちを持たなきゃなってモードになったんです。それぐらい強い気持ちで臨んでいかないと飲み込まれてしまう内容でもあるし、そうじゃなきゃ届かないな、と。沖縄を描いた『Light house』を池袋や新宿で上演していると、「これ、観客に届いてるのかな?」って、どの回を観てても思ったんですよ。自分の中でもっと届けられる唯一のツールとしては、やっぱり『cocoon』しかないなと思ったので、やるぞって感じでいます。

──藤田さんはここ10年、いくつかの土地を訪れて、その土地をモチーフに作品を描くということを重ねてきたように思います。さきほど「重いも軽いもないとは思っている」という言葉もありましたけど、どの土地との出会いも大切にされてきたとは思うんです。ただ、その中でも、沖縄に対しては何度となく足を運んで、繰り返し描いてきたように思うんですね。そこには「沖縄のことは取り組み続けないわけにはいかない」という感覚がある気がするんですけど、そう感じているのは何が一番大きいんでしょう?

藤田 これはちょっと、うまく言葉にできるかわからないんですけど、最近うろうろ考えてたところなんです。どうして沖縄に惹かれるのか。ひとつ思ったのは、もしかしたら自分の故郷に重ねてるのかなってことで。実際、インタビューでそういう話をしたこともあったと思うんですけど、『Light house』に取り組んで、一気に視界が開けたところがあって。たぶん、それは沖縄のことをどこの土地にも重ねていないことに気づいたからなんです。どの土地を訪れても「こんな土地、見たことないな」って思うんだけど、沖縄を訪れるたび、はっきりそう思ってる自分に気づいたんです。「なんでこんなに戦闘機が近くを飛んでるんだろう?」とか、「沖縄ではなんでこんなに水の問題があるんだろう?」とか。

──沖縄の多くの地域は、昔から水不足に悩まされていて、貯水タンクのあるおうちが多いんですよね。『Light house』に向けたリサーチでも、水源をめぐっていたとおっしゃってましたよね。

 そうそう。そこでふと、「このタイミングで水の問題を調べてる自分って何だろう?」って思ったんですよ。水の問題を調べるって言うけど、水が確実にある土地だったら、そんなことあえて調べないじゃないですか。「首里は水が豊富なところだから、お豆腐屋さんがたくさんあって島豆腐がおいしい」って言うけど、それだって水が当たり前にある土地だったら、ホットトピックにならないと思うんです。ないってことがあるから、あることが評価される。「The cheese shop」のジョン・デイビスさんと対談したとき、沖縄では実はチーズはうまくつくれるんだってことを教えてもらったんだけど、その「実は」っていうことも、ないってことが前提になってると思うんです。そうやって沖縄でしか起こりえないことを知るたびに、自分の中で情景が広がっていくんですよね。だから、僕の中でフィクションが立ち上がりやすいというか。

リサーチで向かったオーシッタイ

──沖縄で過ごしていると、作品として描きたい情景が立ち上がってくる、と。

藤田 『Light house』も、実際の上演に使った倍以上のテキストを書いてるんですよ。作ろうと思えばいくらでも作れてしまう。それって他の土地ではありえないんだけど、沖縄だとそう思えるんです。これは橋本さんも知ってるとおり、僕は何回沖縄に行っても地図が頭に入ってないから、車に乗っていてもどこを走ってるのか全然わかってなくて。それで、ジョンさんの車に乗せてもらって糸数城まで案内してもらってるとき、『cocoon』のことは全然考えてなかったのに、また低い耳鳴りがしたんです。そこで振り向いたら、アブチラガマの入り口が見えて、いきなり唐突に『cocoon』の世界に頭の中が戻っちゃったんですよね。戻されたというか。そのあと、ジョンさんが糸数城のことを色々説明してくれてたんだけど、ほとんど耳に入ってこなくて。なんかちょっと、『Light house』のときは「沖縄のことを特別視したくない」とあれだけ言っていたのに、特別視することを言っているように思われちゃうかもしれないんだけど、こういうふうに沖縄に足を運んだ時に作家の視点からしても興味深いことが必ず起こるから、やっぱり魅了されているんだと思います。

(取材・構成:橋本倫史)