coccon

interview

原田郁子×藤田貴大 cocoon 2022.5 対談 後半

――『cocoon』という作品にとって、3月というのは大きな意味を持つ月です。『cocoon』はひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた作品ですが、彼女たちが陸軍病院に動員されたのは3月で、今年の『cocoon』に向けたオーディションが行われたのも3月でした。さきほどウクライナの話もありましたけど、2月の終わりにウクライナ侵攻があって、今年の3月からは戦争というものに対する意識が変わったところがあるようにも思います。今この時代に戦争を描くことについて、どんなことを感じているのか伺えますか?

藤田 今はどういう戦況かってことや、誰かがそう断言したってことが過剰なワードとして目に飛び込んできちゃうから、観客も日々学習してしまうところがあると思うんです。ここ最近考えている地下の世界ってことだとか、そこで鳴っている最小の音みたいなことも、響きが全然変わってくると思うんですよね。天井からぱらっと砂が落ちてくるだけでも、それはもしかしたら地上でミサイルが落ちたってことなのかもしれないって想像したり、地下で息を潜めてる人たちが今もいるってことを想像したりする。だから、現実に起きていることが、僕が今描こうとしてることに全部つながってしまっている意識があるんですよね。ただ、それはもう、10年前から考えたことでもあって。今のトピックとしてはウクライナ侵攻のことが“戦争”ってことで語られているけど、それ以外にもいろんな戦争があって、殺人があって、とにかくいろんなことが世界に溢れている。それを踏まえなきゃいけない世界に生きてきたわけだから、ピンポイントにここってだけの話しじゃなくて、どこにだってつながる物語を描いてきたつもりだし、郁子さんともずっとそういうことを話している気がします。郁子さんはもうずっと、ちょっと嫌な思いをしてる可能性もあるけれど、僕が勝手に「郁子さんの『青い闇をまっさかさまに落ちてゆく流れ星を知っている』(以下「青い闇」と表記)のここの歌詞って、『cocoon』でいうとこういうことだよね」とか、歌詞を見せながらいきなり言い出すの、嫌じゃないですか? ちょっともうずっと、めんどくさいやつだと思われてる気もするんだけど――。

原田 ううん、まったく思ってないよ(笑)

藤田 郁子さんの声を聞いているとそういう、たぶん意図していないのかもしれないけど、僕の中では“何か”と繋がってしまう現象がずっとあるんです。恵比寿のリキッドルームで「ララバイ サラバイ」を聴いたとき、伊達から上京する情景が浮かんできて、もうその曲にしか聴こえなくなったことがあって。もちろん歌っている本人、郁子さんは伊達の風景なんて思い浮かべてるはずないんだけど、表現の部分でぶつかって、つながってしまったり。これまでもずっとそう聴こえていた歌もあるし、今年改めてそう聴こえる歌もある。その両方を自分の中にある部屋に大切にしまっておいて、いつか郁子さんに話してみようと用意しておく、みたいなことの繰り返しですね。

――郁子さんは、今この日々にどんなことを感じてますか?

原田 ――どこから話せばいいんだろう。

藤田 うん。

原田 今年の3月に、GEZANのマヒト君に電話をもらって。ちょうどフィッシュマンズのライブの1日目と2日目のあいだの真夜中に、公園から電話をくれたんだけど、その状況の中でどんな気持ちで音楽をやればいいのか、自分を保つので精一杯で。やることをやればいいんだって割り切ることももちろんできないし、ニュースを見ていると、ちょっとこう、ほんとにやられてしまうから、本番に集中しようと思っていたんです。その夜、マヒト君と話していても全然まとまらなくて、二人で「はー」って溜息ついて、どうしたらいいんだろうって思ってるって伝えたら、「その気持ちのまま歌いにきてくれたら」って言ってくれて。何も言えなくてもいいし、そういう気持ちの人もいるし、僕もそうだからって。それでなんとか新宿に歌いに行きました。

――3月5日に新宿駅南口で開催された街頭宣伝「No War 0305」ですね。

原田 そのとき、「新しい人」と「銀河」と「波間にて」の3曲をやったんですけど、どこかで『cocoon』のことにもつながっていて。『cocoon』っていう作品は、原作を生み出した今日(マチ子)さんがいて、その物語を舞台にしていく藤田くんたちがいて、公演を観てくれたお客さんがいて、すこしずつ関わる人が増えていく中で、その渦の真ん中にあるのは、やっぱり命のことで。

――命のこと。

原田 何て言えばいいんだろう。「ロシア」「ウクライナ」っていうふうに国で語ることをしたくない自分もいるんですよね。そこに暮らす人を一括りにできないし、状況も苦しさもひとりひとり違うはずだから。――藤田君がずっとさ、「揃える」ってことが怖いって言ってたじゃない?

藤田 そうそう。歩調を揃えて、同じビートの中でずっと動き続けなきゃいけないみたいなことって、ずっと怖いんですよね。

原田 自分を殺して、歩調を合わせていかないと、自分の命がなくなってしまうかもしれない。

藤田 その新宿の翌日が『Light house』の楽日で、郁子さんが観にきてくれて。そのとき楽屋にきてくれて、今話してくれたようなことを話してたんです。

原田 うん。藤田君たちは別の作品で沖縄と向き合っていて。沖縄にはいろんな側面があって、いろんな人たちが暮らしていて、新しい出会いもきっとたくさんあって。それがこう、川が合流していくように『cocoon』に集まっていくんだろうなと思ったんです。『Light house』が終わって、藤田君が今どういう気持ちでいるのかってことは私も聞きたいし、音として関わるチームの皆も聞きたいと思う。

藤田 『Light house』を終えてみてやっぱり思ったのは、『cocoon』から離れて沖縄を描くはずだったのに、結局『cocoon』に何もかもが一周回って戻っていたことだったんです。その経緯みたいなことは、時間をかけてキャストにもスタッフにも伝えたいなあ、と思うんだけど。

Light house

2011年の冬に、郁子さんが『Kと真夜中のほとりで』を観にきてくれて、それでやっと自分のことを郁子さんに自己紹介できたんです。その年のフジロックに行ったとき、グリーンステージの音が聴こえてくるところにテントを建てて、そこでコーヒーを飲んでた――その年は地震の年でもあって――「波よせて」が聴こえてきて。「ああ、郁子さん、この曲歌うんだ」と思いながら聴いてたんだけど、そのあと対談した時に、震災からあのフジロックの夏までライブで「波よせて」は歌えてなかったって話してくれて。郁子さんって、歌うまでの経緯や理由をすごく微調整する人なので、ただ音のうねりの中で観客が盛り上がればいいなんてことは絶対考えてない人だと思うんです。その曲をただ歌うってことよりもまず、言葉として「波」って一言でもそういうイメージを持つ人もいるよねってところを郁子さんは考えていて。だから一緒にやれてるんだと思うけど、なんだってつなげられてしまう状況に置かれていることが悲しくもあって。

原田 うん。何一つ解決しないまま『cocoon』の初日を迎えることになるかもしれないけど。こうやってひとりひとりが集まれてることに感謝するし、嬉しいんです。でも、何とも言えない感情ってあるじゃない? 藤田君の葛藤もあるだろうし、おとぼけ(青柳いづみ)の葛藤もあるだろうし、キャスト、スタッフ、それぞれの葛藤があるだろうし、こうやって集まることができる状況がいつまた駄目になるかもわからなくて、すごく脆い状況の中でしか生きていけないんだ、って。

藤田 役者とか歌をうたう人って、矢面に立たされる人だと思うんですよね。郁子さんは初演の『cocoon』のときからずっと、「どんな批判がこようとも、私は矢面に立つつもりでいるから」ってことを言ってくれてて。でも、コロナ禍になったことで、わかりやすく矢面に立たされる時代になってしまった気がするんですよね。

――2年前の『文學界』の鼎談で印象深いのは、郁子さんが「歌うことがずっと咳してるのと一緒で、すごく怖い、危険なことだと見做されてしまう」とおっしゃっていたことで。

藤田 言ってましたね。

原田 カラオケや合唱ができなくなったり。

――歌をうたうってことがネガティブなことだと見做されるってすごい状況だなと思うのと同時に、77年前の日本でもきっと、軍国的な歌以外をうたうことはネガティブに見做される状況があったと思うんですよね。その一方で、ひめゆりの方の証言を読むと、動員後も歌をうたいながら作業していたという言葉も残されていて。歌や音ってことで言うと、初演の『cocoon』のときは、その子たちが聴いていて欲しい音を響かせるって考え方が根底にあったと思うんですけど、今年の『cocoon』に向けて、歌や音についてどんなことを考えていますか?

原田 そうですね。『cocoon』以外の藤田君の作品を観客側で観るたびに、音がどんどん削ぎ落とされていっているなぁと感じていて。役者さんの声がボーカルみたいに中心にあって、そのまわりに伴奏みたいに音がある。そんなふうにより一体化していっているような気がして。

――シンプルになっている。

原田 『めにみえない みみにしたい』と『かがみ まど とびら』で音楽をやらせてもらったときに、どうすればこどもたちに飽きずに楽しんでもらえるかってことにトライしていたんですけど、やっぱり生音って強いよねって話になって。目の前でリズムを出したり、歌ったり――音ってものはスピーカーから出る音だけじゃなくて、もっと立体的なものだよなってことを私もお客さん側から観て感じてたから、藤田君と『cocoon』について話せるタイミングがあったりすると、きっと次の『cocoon』は――次っていうのは今年のことですけど――まずは彼女たちがどんな場所にいるのか、東くんが録ってきてくれた沖縄の音と皆の声で空間をつくろうって話をしてて。私の歌っていうのは、ほんとに必要なところだけでいいのかもって。

藤田 『めにみえない みみにしたい』は「もうすぐ夜があける」と「ユニコーン」って曲で構成していて。それは再演の『cocoon』の翌年につくり始めた作品でもあったんだけど、『cocoon』に先駆けて『cocoon no koe cocoon no oto』ってリーディングライブツアーを郁子さんと青柳と3人でやったとき、山口かどこかで郁子さんが「ユニコーン」を歌ったんです。それがすごく印象に残っていたのと、「ユニコーン」と「もうすぐ夜があける」は『ケモノと魔法』ってアルバムの最後の2曲だってこともあって、その2曲が持つ行間について考えたかったんです。

原田 うん。「もうすぐ夜があける」は劇中歌として歌詞を変えて。

藤田 もうすぐ夜が明ける、この言葉に尽きるなあって。未来を生きるこどもたちに届ける言葉としては。こないだの『かがみ まど とびら』のときは「なみだ と ほほえむ」1曲に郁子さんが歌う場面は集約して、あとはキャストの皆が生で歌うことにして。さっきの話とも重なるんだけど、郁子さんは言葉に対してすごく微調整する人だから、郁子さんに歌をうたってもらう意味について僕も微調整していくべきだと思ったんですよね。

――初演の『cocoon』であれば、郁子さんが歌わない曲も含めると30曲以上が劇中で使用されてましたけど、今年はそこに歌がおかれる意味がかなり捉え直されていく、と。

藤田 10年前は郁子さんの声がまず真っ先に、そこにあってほしいってことをすごく思っていたし、キャストの皆にとってもそれが必要だと思ってたんです。『cocoon』を舞台化するって作業において、郁子さんの声が降ってくるように存在していることが必要だよね、って。でも、その考え方だと、郁子さんをどんどん地上から離陸させちゃうような気もして。キャストの声と郁子さんの声を等価値に考えようと葛藤してきた9年間だったなと思うんです。郁子さんの声が持つ強さで空間のすべてを凌駕する演出になってしまうと、そこに集まってきた人たちがつくったものにならないよなって思うようになったというか。郁子さんも集まってきたひとりだし、キャストもその日集まってきたひとりだし、観客も集まってきたひとりだって認識を持ちたくて。誰かひとりだけが前に出るんじゃなくて、全員がひとりの人でしかないよねって状態をつくるためにもそういう意識が必要だなと思って。歌詞の内容とかも郁子さんと綿密に話し合って、「この作品的にはここの歌詞は抜いたほうがいいよね」ってやりとりを重ねてきたんです。今回の『cocoon』でも、じゃあその歌をうたうんだとして、「その言葉はこことつながるよね」とか、「それはこういう意味になるよね」とかってことを話した上で構成したいので、ただ使う曲の数を減らしたいってことじゃなくて、1曲にかける時間がすごく増えたって感じなんですよね。

原田 うん。それぞれの現場で深めてきたことが、今年の『cocoon』で生かされていくといいなぁと。「とぅ まぁ でぃ」っていう曲があるんですが、今回は自分が歌わなくてもいいような気がしてる。歌い継がれてきた歌――そういう共通の歌がひめゆり学徒の皆さんにもあったように、『cocoon』にもあったらいいなと思うんですよね。

――その上で、2022年の『cocoon』には、郁子さんの新しい歌があってほしいなと思っているわけですね。

藤田 一緒に沖縄に行くたびに、郁子さんが「やっぱり新曲かな?」って言ってくれていて。この9年で、郁子さんが『cocoon』に書き下ろしたのは「とぅ まぁ でぃ」なんですけど、2013年の初演に向けて沖縄に行ったとき、どこかの浜辺でもう郁子さんが口ずさんでたんですよね。その年の5月に、bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんが亡くなって。

原田 そうだね。

藤田 bloodthirsty butchersの『kocorono』ってアルバムがあって、「そのアルバムは季節のことを歌っていて」みたいなことを話したり、僕が思ってることをとにかく郁子さんにぶつけてたんですよね。その頃まだ28歳とかで、郁子さんに向かって馬鹿みたいにずっとしゃべってて。今思うとほんとに恥ずかしいんだけど、「僕の演劇のエンディングで流れる曲って、全部ワルツなんですよ」みたいなことを話したりして(笑)

原田 そうだっけ?(笑)

藤田 三拍子を「ワルツ」と言うんだって、おぼえたての知識で話して。何を郁子さんに言ってたんだろうなって思いますけど、「そっか、三拍子か」って郁子さんが言ってくれたんですよね。そのあとに「とぅ まぁ でぃ」を聴かせてくれて。そこから初演があって、再演のときはまた全然違うムードの中で郁子さんの曲をどうやって『cocoon』にあてはめていくかって作業をしたんだけど、そこから3回目の『cocoon』になったときに、郁子さんから「新曲」って言葉がぽつぽつ出てき始めたから、やっぱりそれは聴きたいなと思っています。

原田 わかった。やってみるね。