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interview

原田郁子×藤田貴大 cocoon 2022.7 対談 前半

――前回の対談を収録したのが5月下旬で、今日は7月1日です。ふたつの対談のあいだに6月があって、6月というのは『cocoon』という作品を考える上でも大きな意味を持つ月でもあるかと思います。6月が始まったときのことって、まだ記憶に残ってますか?

藤田 そうか、今日からもう7月なんだ。6月になったとき、何を考えてたんだろう?

原田 どうしてたかな、記憶が遠い――。藤田君はもう、ずっと稽古場ですか?

藤田 稽古場で、ずっと学校のシーンを作ってたかなあ。あとは資料をずっと読んでましたね。休みの日も橋本さんを呼んで、事務所で資料を読んで――ここまで資料を読んだのは、この10年で初めてかもしれない。

原田 そっか。昨日稽古を見せてもらっていたときにも思ったけど、初演とも再演ともまた違う、まったく新しいものになってるね。

藤田 そうだね。まったく新しくなってると思います。

――吉祥寺にある「キチム」から、オンライン配信でリーディングライブをやったのは6月12日のことでした。

藤田 あの日になってようやく、東(岳志)さんが沖縄でフィールドレコーディングしてくれた音をじっくり聴けたんですよね。もっと早い段階で送ってもらってたんだけど、それまでどうしてか聴けてなくて。

原田 私も、東くんが録り溜めていた音源をようやく聴けました。

――今おふたりの話にもあったように、東さんは2020年から沖縄でフィールドレコーディングを重ねられています。今年の上演には沖縄で録音した音を使おうという話は、どこから持ち上がったんでしょう?

原田 そう、そもそもの話を少しした方がいいのかな。2020年の再々演が決まった時に、藤田くんが「沖縄の空気、湿度を劇場に持ってきたい」と言ったんですよね。それで今回は東くんと沖縄の音を録りにいこうというところからはじまって。アブチラガマ、荒崎海岸など、ゆかりの場所を訪ねて、録音していったんですよね。

藤田 どうしてか、咄嗟に次に『cocoon』を描く機会があるのだとしたら、劇場で存在する全ての音を沖縄で録音したい、と思ったんですよね。(召田)実子の映像も、そうで。全て撮り直したい、と。2015年までの自分たちの『cocoon』を巡る作業を否定したいわけではないのだけど、やっぱり湿度とかそういうレベルでの沖縄が、例えば東京に住む人たちに伝わっているか分からなくて。あの先を行こうとするなら、沖縄という土地と改めて向かい合って、なるべく正直に耳を澄ませたかったし、見つめたかった。それで、あのキチムで実際に自分のミキサーでフェーダーやEQをいじって音を出してみたんですよ。東さんがこの数年間をかけて録ってきた音を。あまりの生々しさで、具合が悪くなるほどの迫力で。雫の一滴一滴がまざまざと聴こえてきたし、それが指先にも伝わってきて。

原田 うん、やっぱりすごい密度で、気配ごと伝わってきた。あの日は、来れるキャストのみんなも来てくれて、「とぅ まぁ でぃ」を一緒に歌ったね。――この何年か、それぞれが別々に『cocoon』について考えて、別々の場所でやってきたことが、あそこで一気に合流した感じがあったね。

藤田 そうそう。青柳の感じも、「ああ、そんな感じなんだ?」と思ったんですよね。ずっと一緒にいるから、もうちょっと近頃は淡々と過ごしているのかなあと思ってたんだけど、あの日はとにかく激しくて。

原田 凄まじい集中力だったね。本番の時、私はアップライトピアノを弾いていたので、おとぼけ(青柳いづみ)と藤田くんに対してほとんど背中を向けていたんですけど、見えていなくてもビリビリする感覚があった。蝉も波の音も、飛行機の音も、ほんとうに沖縄の音が鳴ってる中で演奏していくと、より集中していけたっていうのもあったかもしれない。

――リーディングライブでは、『ひめゆり 女師・一高女の沿革誌』という本に掲載されていた、ある女学生の日記を青柳いづみさんが朗読してました。

原田 あの日は「とにかく本番前にリハーサルスタジオに集まろう」っていうところから始まって、生配信のタイトルは以前3人で廻ったときと同じ「cocoon no koe cocoon no oto」だったんですけど、もうやっぱり7年前とは全然気持ちの上でも違っていて。それで、おとぼけ(青柳いづみ)が持ってきてくれたものの中に、あの日記があったのかな?

藤田 そうなんです。リーディングライブに向けて、今年の春にマームとジプシーが発表した「四月生まれの雷」のテキストも持っていって――そこには沖縄の北部にある今帰仁での体験が綴られてあるんだけど――それは結局、直前になって読まないことにして。

――「四月生まれの雷」は、今年の4月から5月にかけて、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』と『Light house』というふたつの作品を新宿・ルミネゼロで上演する際に書き下ろされたテキストでした。『Light house』は、藤田さんが現在の沖縄をフィールドワークして描いた作品でしたけど、「四月生まれの雷」も現在の沖縄がモチーフになったものでしたね。

藤田 そうそう。リーディングライブをやるまでは、僕と青柳の中では『cocoon』と『Light house』がまだ滲んでる部分があって。過去/現在/未来という軸が、まだ『cocoon』にチューニングが合っていなかったというか。でもあのライブで振り切れたことがかなりあって。今夏はやっぱりもう海まで走るしかないんだな、って。

原田 うん。藤田君たちが『Light house』で取り組んだことがあって、そこには東くんも関わっていて。重なってるメンバーが『cocoon』に持ってきてくれるものがきっとあるはずで、現在の沖縄が重なってくるっていうことが3回目の『cocoon』にとってきっといいことなんだと思ってたんです。でも、あのリーディングライブを経て、覚悟ができたと言ったら変だけど、「戦前の沖縄にいこう」って話をライブ後にしたんだよね。そこから物語を始めよう、って。

藤田 去年の秋、郁子さんも観にきてくれた作品だけど、「Letter -Spring/Summer/Autumn/Winter-」を長野の大町で上演したんですよ。あれはミナ ペルホネンのデザイナー・皆川明さんが毎週ホームページやインスタグラムで配信してきた「Letter」が元になってるんです。

原田 手紙、なんだね。それをテキストにしたの?

藤田 そうそう。そこで皆川さんのテキストを読んでるときに、手紙と日記というのは、似ているようでむしろ真逆のものだと気づいたんですよね。皆川さんは日記みたいに文章を書いているんだけど、それが「Letter」ってタイトルになっている面白さがあって。手紙って誰かに宛てたもので、その誰かの手元に届いて読んでもらうという前提があるんだけど、日記ってほんとは誰にも読まれないはずのものですよね。なんなら鍵がかかっているくらいの。だから、青柳があの日記を朗読したとき、迫力あるなと思ったんですよね。手紙と違って、日記は誰かに向けての自意識が薄い状態で書かれるはずのものだから。そのリアリティがあって鳥肌が立ったんです。

原田 手紙だと、出す相手との関係性もあるもんね。相手に対しての気持ちものっかるし。

藤田 あと、絶対かっこつけて書くしね。対象がいると。

原田 そういうものが一切ないから、ものすごく淡々としていて。でも、それこそが生活っていうかさ。

藤田 声になるはずじゃなかった声を、どう拾っていくかというのが今年の『cocoon』なんじゃないか、という話にも繋がってくるんだけど。今日、このあとの稽古で「青い闇」が流れるシーンを作りたいと思っていて。あの女学生の日記の中に、流れ星のことが書かれてるんですよね。最初は「南東の空に彗星が見えた」と書かれてるんだけど、その一年後には「南東の空にホウキ星現わる」とあって、どうこの風景のことを書こうかと自分の中で言葉探しをしている感じというか、推敲してる感じも伝わってくる。そういうのも面白かったんですよね。

――藤田さんは今回の『cocoon』に向けて、いろんな方が書かれた手記を膨大に読まれてもいます。

藤田 いろんな手記や証言を読んでると、「砲弾が流れ星に見えた」とか、「照明弾があがると夜なのに昼みたいに明るかった」とか、いろんなことが書かれていて。実際にはすごく凄絶で残酷な風景なんだけど、それが美しく冴えて見えた、とか。いろんな資料を読んでいくと、あのときのことを、あのあといろんな人がいろんな言葉で表現しようとしたんだなって。作家ではない人たちが、どうにかあの体験を表現しようとした文字がたくさん残っていて、その着飾っていない言葉に迫力を感じたというか。

原田 うん。「日米開戦」という日の日記に、「いつかその時が来たら、私も戦って、潔く死のうと思う」って書いてあったじゃない? その日にそう書いているっていうことは、その前から日記には書かれていない部分でどんどん戦争が押し寄せてきていて、開戦の日にはそんなふうに思っていたんだということに驚いた。でも、そういう日々の中でも花を見たり、空を見上げたり。それも人間の不思議というのか、いろんなことが混在してたよね。

――あの日のリーディングライブを振り返ったときに強く印象に残っているのは、郁子さんがうたった「青い闇」のことで。あのとき聴いた「青い闇」のことは、まだ全然噛み砕けていないぐらい強く残っているんですけど、おふたりの中ではどんな感触として残っていますか?

藤田 6月はとにかく沖縄戦の史実を調べている時期でもあったから、「青い闇」を聴いたら、曳航弾が夜空を照らす情景が思い浮かぶのかなって、あの前日までは思っていたんです。でも、実際にリーディングライブをやってみて、声や音と一緒になって押し寄せてくる郁子さんと青柳の姿を見つめていると、そういう文字から受けとってイメージしていたものでは測りとれそうもないような、言葉にできない迫力を感じましたね。

――言葉にできない迫力。

藤田 あの曲のきれいさみたいなものって、それとは矛盾するような音と重なるといっそう引き立つよなってことは、前々から思っていたんです。だから2015年に『cocoon』を上演したときも、炎が燃え盛る音の中で「青い闇」が流れるって演出にしたんだけど、それともまた違う不思議さが、あの日の「青い闇」にはあったなと思うんですよね。何て言えばいいんだろう。カツンと本当のことを言い当てられた、みたいな。あの日、青柳が女学生の日記の最後にある「南東の空にホウキ星現わる」ってところまで読んだあとに「青い闇」が始まったんですよね。

原田 そうだね。おとぼけがアドリブで星の名前を言って、それを聞きながらピアノを弾いて、藤田くんはCDJから沖縄の音を鳴らして、即興的に3人でつくっていったんだけど。もともと「青い闇」っていう曲は、物語みたいな曲を作れたらなと思って作った曲なんですよね。「私」がいないというか、「誰かの、いつかの物語」みたいな歌ができたらいいな、って。で、その曲を藤田君が見つけてくれて、『cocoon』の初演と再演で使ってもらった。それからライブで何度も歌ってきたんだけど、やっぱりこう、音って空気だから、空気が鳴って、聞こえてくるんだよね。だから、この2022年に、「青い闇」が『cocoon』ともう一回出会って一緒になると、こんなふうに聴こえるんだって、驚きながら歌っていたところがあるかも。

藤田 ああ、本当に素晴らしいですね。たった今、郁子さんが言ってくれたこと、今年の『cocoon』で(中村夏子が演じる)夏子先生が言うといいよ。「空気」っていう言葉を。たしかに音って、空気の振動だよね。

原田 うん、そう。今を鳴らしているし、今をキャッチするから、聴いたときに空間ごと受け取ってるんですよね。

藤田 前に話したことがあるかもしれないけど、2011年に郁子さんと出会ったとき、僕はまだ海外に行ったことがなかったんです。それで、2012年の秋に今日さんと郁子さんと一緒に沖縄の戦跡を巡ったあと、2012年の12月に初めて海外に出るんだけど、それが韓国だったんですね。僕と青柳と林香菜でワークショップに行ったんだけど、予算もなくて、ゲストハウスみたいなところに泊まることになって、外は雪が積もりまくっていたし、部屋で3人でずっと花札してて。そのときずっと、郁子さんの『ケモノと魔法』と『銀河』をずっと聴いてたんです。

――どちらのアルバムにも、「青い闇」が収録されてますね。

藤田 そのふたつの「青い闇」の差、というか違いについて、花札しながら僕と青柳がずっと語ってたんです。だから、2012年に郁子さんと一緒に沖縄に行ったときは「青い闇」のことなんて全然話してなかったと思うんだけど、2013年に一緒に沖縄に行ったときは空港で郁子さんに出会った瞬間から「青い闇」について考察してみたことを郁子さんにぶつけまくった記憶がある。歌詞の中にある「青い闇を まっさかさまに おちてゆく 流れ星を 知っている」っていう歌詞が、ここから身を投げた人のことのようにも聴こえてしまう――郁子さんからしたら耳を塞ぎたくなるような話だと思うんだけど、そうやって郁子さんの歌詞をどんどん“誤読”していって。

原田 すごい感受性だなぁって。

藤田 いやいや、すごい感受性というより「何でそういうふうに読むの?」って思うだろうなってことを、不躾にぶつけてたんです。そこから「青い闇」という曲は『cocoon』で扱っていくうちに、いろんな意味が生まれてたくさんの人たちに届いていったんだろうなあ、と思ってます。