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藤田貴大単独インタビュー ♯2

──3度目の上演となる『cocoon』は、当初は2020年の夏に上演される予定で、その年の3月にオーディションを重ねて出演者が決まりました。ただ、2020年には上演できないという判断をして、ツアーのスケジュールを組み直すということになった段階では、どのタイミングなら公演が打てるのかも決まってない状態だったと思うんです。そこで会場をまた一から探すのと同じように、あらためてメンバーを選び直すという選択肢もありえたとは思うんですよね。でも、その道は選ばずに、あの春のオーディションで出会った皆と上演を模索することに決めたのはなぜでしょう?

藤田 直感的に、その出来立ての座組を壊したくなかったんですよね。おっしゃる通り、『cocoon』ぐらいのツアーの規模になると、「1年延期します」って言ってすぐにずらせる話じゃないから、また一から組み直さなきゃいけないことになるので、その段階ではまだ無期限延期みたいな状態で。出演者の中には僕の作品を観たことがない人もいるし、「無期限延期でついてきてくれる人っているのかな?」って話にもなったんだけど、これはチャンスなんじゃないかって、今日さんも言ってくれたんですよね。

──チャンス?

藤田 初演も再演も、1ヶ月ぐらいの稽古期間で『cocoon』は初日を迎えていたんです。今回は結果的に、時間をかけて役者と付き合う時間ができたってこと自体はチャンスなんじゃないか、って。そこで「今年は上演できないことになったので、再開するときは新しいメンバーを揃えます」っていうのは、なんかちょっと違うんじゃないかなと思ったんですよね。僕の中ではもはや、集ったその人たちの身体の後ろに、亡くなった人たちを見ているし、もっと言えばひめゆり学徒隊をすでにイメージしながら見つめているわけですよ。みんなを一回選んだからには、そこで何もせずに「じゃあ、解散で」ってことは言えないなと思ったし、ひとりひとりのエピソードを掘り下げていきたいなってシンプルに思ったんですよね。また『cocoon』の場で再会して走りきるっていうのが、おこがましい話かもしれないけど、僕に託されたことのひとつでもあると思ってるんですよね。今回は3回目の『cocoon』だけど、初演のメンバーと再演のメンバーを忘れたことはなくて。一回かかわった人たちのことを忘れて次にいくっていうふうには思っていないのと同じように、まだ初日も明けてない人たちと走らないっていうのは、僕の中ではないなと思ったんですよね。

──それで今回は、2020年7月から集まる機会を設けて、皆と時間を過ごしてきたわけですよね。その時間というのは藤田さんの中でどんなものとして積み重なってますか?

藤田 マームとジプシーにはレパートリーメンバーがいて、“ひび”のみんながいて、定期的に関わる人たちっていうのはいるんだけど、こんなふうに時間を過ごしたことはなかったから、すごく不思議な時間だったなと思うんですよね。月1のボイトレもやってきたし、身体に向き合ってもらうってこともやってきたから、その子たちと関わってる時間の意識が途切れなくて、それが『Light house』にも良い影響があったんです。最初の予定だと、『cocoon』を上演したあとに『Light house』って順番のはずで、「やっとそれ以降の沖縄を描けるね」みたいなムードだったんですよ。でも、今となっては『Light house』を終えて『cocoon』って順番が腑に落ちていて。『Light house』の裏で、ずっと待機してくれている『cocoon』のメンバーがいることが心強かったし、『cocoon』に戻るんだって意識が途切れなかったのもよかったんです。『Light house』だと沖縄の北部のことをやってたりするけど、僕の中ではどこかで(ひめゆり学徒隊が動員された)南部と繋がっている感覚があって。もちろん『cocoon』以外の仕事もやってるんだけど、自分の身体のどこかは『cocoon』って部屋にいて、そこでは『cocoon』のことを考えなきゃいけないみたいな感じがあって。だから、沖縄の雑誌を読んで、「美味しそうだね」とは言うんだけど、美味しそうとは思えてないところもあるんですよね。『cocoon』があるから。逆に聞きたいんですけど、これって何なんでしょうね?

──その感覚はなんとなくわかる気がします。美味しそうだし、実際食べたら美味しいんだろうなって思いはするんだけど、旅行を楽しむっていうような感覚では過ごせないというか。

藤田 どこにいても遊べないし、休めないんですよね。そうしておかないと、不真面目なんじゃないかと思ってしまうというか。これは郁子さんも近いことを言っていて、ライブをやっていても『cocoon』の世界に戻っちゃう瞬間があるらしいんですよね。郁子さんは表現に対してすごく真面目な人だから、そうなったときに「今日、ふと『cocoon』のあの世界に戻ったよ」ってことをメールで伝えてくれるんです。全然別の曲をやってたんだけど、並行して「青い闇をまっさかさまにおちてゆく流れ星を知っている」を歌っていたかもしれない、って。その感覚は僕にもあって、並行世界の自分の中に『cocoon』がずっと流れてるから、そこに意識が繋がっちゃうんですよね。だって、「終わることなんてないんだよ」って台詞を役者さんに発語させている僕が、美味しいパフェとか食えますかね? パフェじゃないか、何だろう──。

──美味しそうな沖縄のフルーツとか。

藤田 そうそう、そういうの食べて、嬉しそうにインスタに写真とかあげれますかね? そこには観客との約束があるような気がするし、今まで走ってくれた人たちとの約束でもある気がしてるんです。僕が「もう『cocoon』のことはいいや」とか、「ああ、沖縄戦ね」みたいな感じになってしまうと、或る世界が終わるんじゃないかって。

──今の話を聞いていて思い出したのは、2013年に『cocoon』に出演する皆と南風原の病院壕を見学したときのことで。あのとき、そうやって戦跡をめぐりながらも、壕を出たあとに自販機でコーラを買って飲んで、「このコーラは美味しいよね」って話をしてた気がするんです。あるいは、戦跡を巡ったあと、夜には沖縄料理を食べて、「これは美味しいよね」って言ったり。それはつまり、かつてその土地で起こったことを知ろうと手を伸ばしはするんだけど、その土地で起きた悲劇のことだけに目を向けて他のことは無視するって態度でいるんじゃなくて、今の時代の今目の前にある風景のことにも目を向けて、ある意味ではバランスを保つってところがあった気がするんです。

藤田 ほんとに、その通りですね。あのときは『cocoon』に着手するのが怖くて、それが「でもやっぱり、沖縄で飲むコーラはうまいよね」って言葉になってたのかもしれなくて。今振り返ってみると、戦争を描くときにどういうトーンで描くのか、その世界観を決めるための一年目だった気がするんですよね。もんぺを着たこどもたちが逃げ惑ってるっていう世界観で描くことだってできるけど、僕らはそういう描き方はせずに戦争に手を伸ばそうとしていて、そのチューニングの期間でもあったんです。戦争が終わったあとも、その土地に課されてきたことがあって、いろんなことに苦しんでいる中での今なんだよねってことを、今日さんも郁子さんも僕に伝えてくれて。そこから沖縄のことをどんどん知っていったときに、美味しいものを食べるってことはチームとしては大事ではあるんだけど、「でもやっぱり、沖縄で飲むコーラはうまいよね」って言葉では片づけられなくなってきて。

──今の話って、受け取り方によっては、「沖縄が置かれてきた状況を知って、沖縄県外出身の人間として贖罪意識が芽生えて、『コーラはうまいよね』って言葉で済ませられなくなった」っていうふうに受け止めることもできる気がするんですけど、藤田さんの意識にあるのはもうちょっと違うことのような気がするんですよね。

藤田 シンプルに、美味しいものを美味しく食べてられないというか──沖縄にいるときはちょっと特殊なんですけど、他の土地にいるときだと、飲み会とかで作品の話とかされるの、嫌いだったんです。そういう場で誰かが作品の話をし始めたら、「その話はもういいから」って言って遮るぐらい、作品の話をされるのが嫌いだったんですけど、沖縄にいるとすぐに作品の話をするモードになっちゃうんです。2013年のときは、もうちょっと漠然としたところで「戦争を描くっていうのはどういうことだろう?」って考えてたけど、関われば関わるほど描き方もマニアックになって、技術的なこともあがってきてるから、「爆音でなにかを表現しよう」みたいな感じでは全然なくて。こないだの『Light house』も含めて、沖縄をモチーフに作品を描く上での話し合いの精度が上がってきて、東さん(『Light house』や『cocoon』に音響として携わる、フィールドレコーディングエンジニアの東岳志さん)や郁子さんと話していても、「静けさのあとに、水が一滴落ちる音の迫力ってあるよね」とか、「この音をこの録音機具で録るとこういう音になる」とか、沖縄に行ったら作品のことばかり話してて、熱中度が変わってきてる気がするんですよね。

ガマの中でレコーディングする様子

──たしかに、前は沖縄に滞在しているときでも、晩ごはん食べているときは他愛もない話をしていた気がしますけど、今はずっと作品に関係してくる話になってますね。

藤田 それって何なんだろうなとも思うんだけど、今はそっちのムードのほうが好きなんです。前みたいにブルーシールのアイスとか食べて、「こういう感じなんだ!」とかって言ってるのも楽しかったは楽しかったんですけど。あの頃はきっと、沖縄を描くにしても戦争を描くにしても、じゃあどう描けばいいのかってもどかしさがあったと思うんですよね。でも、今は沖縄を描くことに成果があるから、その上で――バンドの人たちが「あそこはやっぱり、こっちのエフェクターに変えたほうがいいんじゃないか」ってレベルの話をしているように、細かい精度の話を沖縄の座組の皆とはしてるんですよね。だからもう、後戻りできないんじゃないですかね。いくつになっても、沖縄に行って休むことはないと思うし、描きたい土地になっているんです。逆に、今は伊達のことを描きたくないんですよ。

──それも不思議ですよね。マームとジプシーの作品は、ある時期までは藤田さんの郷里である北海道の伊達市をモチーフとしたものがほとんどだったのに、今は描きたくなくなっている、と。

藤田 たまに伊達に帰っても、描きたいと思えなくなっちゃったんですよね。どうしてか。理由は自分の中にはっきりとある気もするけど。今はまだ再び描くつもりになれない、というか。描きたくない/描けない町の中では、なんだろう、自分の存在意義を見失ってしまうんです。でも、沖縄に行ったときは、おこがましい話だとは思うんだけど、ここで僕ができる仕事があると思えてるんですよね。

(取材・構成:橋本倫史)