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藤田貴大単独インタビュー ♯3

―──『cocoon』は、今日マチ子さんがひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた作品です。沖縄戦でひめゆり学徒隊が動員されたのは沖縄の南部で、2013年の初演のときにめぐった戦跡も南部が中心でした。でも、それから10年のあいだに南部以外の場所とも出会って、南部には南部の沖縄戦があったように、北部には北部の沖縄戦があって、ひとりひとりの戦争体験があるってことに触れてきたように思うんです。『Light house』では北部もモチーフに描かれていましたけど、そこから再び『cocoon』に向かっていく今、どんなことを感じていますか?

藤田 『Light house』で北部に行ったとき、橘田さん(『Light house』で衣装を担当した橘田優子さん。沖縄北部にアトリエと藍畑がある。)と一緒にいたら近くに住んでるおばあさんがやってきて、ちょっと話してたんですよ。そこでおばあさんが「あの戦争のときに」って話を始めたんだけど、よくよく聞いたら、それは琉球王朝の時代の戦争の話で、「それを『あの戦争』って言うんだ?」って、ちょっとびっくりしたんだけど、そういう体感も全然違うだろうなと思ったんですよね。沖縄戦でも、南部と北部に米軍が進んでいったグラデーションがあるし、ここが激戦区になったってところがあるんだけど、初演と再演の『cocoon』だと、もしかしたら東京の観客にはそれって伝わらなかったのかもしれないな、と。沖縄戦の微妙なグラデーションが、地図として頭の中にある人ってどれぐらいいたんだろう、って。

――──たしかに、作品の中でそういう位置関係が示されるわけでもなかったから、沖縄戦について知識がある人以外はそのグラデーションは頭に浮かばなかったでしょうね。

藤田 だけど、僕の中でも沖縄っていう地図に対する具体性が変わってきてるところもあるから、そこをもうちょっと言葉で伝えられるかなとも思って。それで言うと、『Light house』でも、3月にシアターイーストでの公演を終えて4月のLUMINE 0に行くまでに、微妙な言葉の変更をしたんです。たとえば、「井戸、、、、、、カー、、、、、、」とかって繰り返し語ってるけど、「井戸・・・か?」みたいに受け取ってる人もいるんじゃないかって思ってしまって。

──沖縄の言葉だと、井戸のことを「カー」と言いますよね。たしかに、「フーチバー」みたいにはっきり聞き馴染みがない言葉であれば「なんか、そういう言葉があるんだろうな」って想像はできるけど、「カー」って言葉は聞き流しやすいかもしれないですね。

藤田 僕の中では、井戸っていうのは地下世界への入り口でもあって、そこには『ねじまき鳥クロニクル』からの流れもあるから、「ここから地下世界に行くぞ!」ってモードになってるんだけど、池袋の公演だと、観客席にはその準備ができてなかったんじゃないかな、って。ただ、那覇公演のときには、そこでついてこれなくなるムードってなかったんですよね。そこから池袋に行ったときに、最初の3日間しかできなくて、そこから休演になってラスト2日しかできなかったから、観客がわかってる、わかってないってことを把握できなかったというか。

『Light house』撮影:岡本尚文

──「カー」の他にも、「マブイ」とか「サバニ」とか沖縄の言葉は随所に出てきます。

藤田 そうそう。サバニ(舟)とかも、作品の中で説明はしてるんだけど、もしかしたらそこでついてこれなくなった観客もいたかもしれないなってことを、休演がなければもっと早い段階で気づいていたのだろうけど、池袋公演の楽日になってようやくハッとしたんです。だからLUMINE 0ではそこの補足をちょっと丁寧過ぎるぐらい増やしました。あと、LUMINE 0で大きかったのは、スモークが焚けなかったんですよ。そうなると、小金沢さんが美術として成立させたい世界観としてはリスキーなんだけど、そうなったことで小金沢さんに託し過ぎてたなってことに気づいたんです。小金沢さんが作ってくれる空間があるからってことで言い訳してたところがあったんだけど、スモークがなくなったときに、そこをどう成立させるかってことを考えるには、演出家と音響家と照明家っていう、いつもの三角形に戻った。そこで「このままじゃ駄目なんだ」って話になって、チャプター3の途中から低音を流し始めて、照明的な伏線もつけて――シアターイーストまではそういうことをやってなかったんです。言葉が足りてなかったことにも気づいたし──そういうことって『cocoon』にもあったんじゃないかと思うんですよね。

──言葉が足りていなかったところ?

藤田 今日さんの漫画だと、いくつかの壕を複合的に描いてると思うんだけど、それはどこのガマなのかってことを、上演時間の中で描こうとはしてなかったんです。途中で目が見えなくなった子がいるっていうのは、過労によるものなのか、砲弾で負傷したのか──。初演と再演のときは、その子たちが置かれている状況の酷さみたいなことばかり描いてたけど、その状況のバックボーンって前回までの『cocoon』で描けてたかなって思ったんですよね。たとえば空襲の被害にあったとして、その飛行機はどこからやってきたのか。沖縄戦でも、アメリカが伊江島を占領したのはそこに飛行場があるからで、そこにベースを構えていく。そういうことって、今のウクライナ侵攻を見ていても、「ああ、そうやって誰かがどこかの部屋で地図を広げて、将棋みたいに作戦を立てて侵攻していくんだ」ってことがわかると思うんです。

──ニュース番組をつけると、日々戦況が報じられてますね。

今の人たちってそれを見てるから、攻め込まれたり追い返したりが繰り返されるんだってことがわかってるはずだから、前回までのようにとにかく八方塞がりってことだけを描くのは違う気がしていて。艦砲射撃っていうけど、その艦砲射撃はどこからどういう矢印できてたのかって感じを伝えていかないと、「ひめゆり学徒隊のあの悲劇ね」みたいなことになっちゃう気がする。そこに少年兵がいるってことでも、どれぐらい戦況がまずかったのかってわかると思うし、ひめゆり学徒隊だけの悲劇じゃない気がするんですよね。そこをもっと多角的に描いていかないと──別に厳密な知識を観客に向けて言っていくわけではないんだけど──「ああ、唯一の地上戦ね」って抽象度で伝わってしまう気がするんですよね。

(取材・構成:橋本倫史)