稽古場の床に座り、皆は記憶をたどっている。誰かと交わした会話の記憶の中には、楽しい記憶ばかりではなく、悲しい思い出や後悔したこと、誰かと喧嘩した話や、誰かを傷つけてしまった言葉も強く刻まれていた。
「この1年間、僕は暴力ってことが引っ掛かり続けてるんだよね」。藤田君が言う。「そこに『cocoon』ってことをオーバーラップさせなくても、この1年、暴力ってことについて考えていて。暴力って言葉の中にはいろんな暴力があると思うんだけど、たとえばDVが増えたり、たとえば自殺に追い込まれた人が増えたり、暴力って言葉の意味合いが強まったなって、個人的には思っていて。これは別に、皆に『その気持ちをわかってくれ』と言いたくて話してるわけじゃなくて、当たり前に底が上がった感じがしてるんだよね」
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「暴力――」。話を向けられた高田静流さんは、しばらく考え込んで、話し出す。「ちょうど昨日、池袋にあるユニクロで、ヒートテックを新調してたんです」
「ヒートテックって、新調するものなんだ?」と藤田君。
「毎年機能性が上がるから、『今年のヒートテックを買おう』って、ユニクロに行ったんですね。それで、ヒートテックを選んでるときに、店の前で男の人が怒ってる声がして。棚と棚のあいだから、怒ってる男性の姿だけが見えたんですけど、その怒り方が嫌な感じの怒り方だったんです。お会計をしてお店を出るときにちらっと見たら、その男の人が怒ってる相手はちっちゃい女の人だったんです」
「あ、店員さんに怒ってるとかじゃなかったんだ?」
「そう。何を言ってるかわからないんだけど、理不尽な感じで怒ってて。『お前が間違ってるんだ!』って、有無を言わさず怒ってる感じというか。反論しようにも言い返せない感じがして、暴力を感じました。対等じゃなかった」
「ほんと、そういう場面を見る機会が増えたよね」と藤田君。「僕は普段、ほとんどの時間を劇場で過ごしてるから、コロナ禍の前は昼間の時間を知らなかったってこともあるんだけど、『それにしても、怒ってる人多くない?』って思うんだよね」
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「暴力――」。首を傾げながら、成田亜佑美さんは振り返る。「あんまり思い出せないんだけど、思い出そうとして浮かんできたのは高校生のとき、男子同士が喧嘩してた」
「そのとき、あっちゃんはどこにいたの?」
「私は教室にいて。普段はやさしくてこぐまさんみたいな××君のことを、『俺は強いんだぞ』って言ってるような男の子が馬鹿にして。××君は普段やさしいんだけど、すごい強い人で。怒った××君が、その男の子に頭突きしたら、倒れて泡を噴き始めちゃって」
「××君、頭突きしたんだ?」
「そう。私はすぐここにいたから、すごいびっくりした。でも、完全にそれは馬鹿にした男の子が悪かったんだと思う」
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「私、電車で台本読んでて」。菊池明明さんが言う。「そしたら、40歳ぐらいのカップルで、お金持ちっぽい雰囲気のふたりが隣に座ったの。それで、私が台本読んでるのに気づいた男の人が、『ああ、女優さんなんですか?』って話しかけてきて。いきなり声かけられてびっくりしたんだけど、ふたりとも雰囲気は悪くなかったし、ちょっとセレブな感じだったから、このまま知り合いになって、本番のときにその人たちから花とか届けられるのかなって思って――」
「ちょっと明明、何言ってんの?」
「いや――普通だったらいきなり声かけられたら怖いけど、雰囲気がいいからさ、『そうなんです』って答えたんだよね。何駅目かでカップルは席を立って、電車を降りようとしたんだけど、扉の前に女子高生が座り込んでたの。そしたら、さっきまですごい雰囲気がよかった男の人が、『お前、何やってんだよ』って豹変して。女子高生が『ああ?』って言い返したら、男の人は女子高生の頭を掴んで、そのまま降りてったのね。プシューって扉が閉まっても、ホームでまだ言い争ってて――『ええ?!』って。『私、さっきまでこの人たちのこと、雰囲気が悪くないと思ってたのに!』って。私、ほんと人を見る目がないなって思った」
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「知り合いが、昔悪くて、暴走族やってたんだけど」。石井亮介さんが切り出す。マームとジプシーのレパートリーメンバーでもある石井さんは、この日、用事があって途中参加となった。石井さんが皆と顔を合わせるのは今日が初めてだ。
「その人に、何が一番怖かったかって聞いたら、『喧嘩とかは日常茶飯事だからそんなに怖くなかった』って言うんだよね。ただ、ある日バイクで走ってたら、黒塗りのセダンに囲まれて、そのまま誘導されて峠に連れてかれて。完全に本職の人たちに囲まれて、『お前ら、いつもこのへん走ってんのか?』『他にチームあるのか?』『わかった、じゃあ車に乗れ』って、キャンプ場みたいなところに連れてかれて」
「こわ!」
「そこに着いてみると、さっきの人たちより良いスーツを着た人たちがバーベキューの準備をしてて、『お前らよくきた、まあ食べろ』って、その人たちが肉を焼いてくれたらしくて。怖いけど、食べないのも変だから、食べる。そうすると、わんこそばみたいに『はい、次』って、延々食べさせられる。簡単に言うとスカウトなんだけど、2時間ぐらい食わされ続けて、ようやく返してもらえたらしくて。それが一番怖かったって言ってた」
「何その話、めっちゃ怖いじゃん」と藤田君が言う。「めっちゃ怖いけど――それは石井君の知り合いの話だよね? ここまで皆、自分が目にした暴力の話をしてたのに、なんでいきなり知り合いの話してんの?」
藤田君は大笑いしながらそう語る。石井さんと藤田君は大学の同級生であり、親友だ。その関係を知らない人たちは、少しキョトンとしながら、ふたりのやりとりに耳を傾けている。
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「皆の話を聞いてても思ったけど、目の前に暴力があったとして、『見てるしかなかった』とか、『この時代だからどうしようもない』みたいに思ってしまう瞬間って、すごい怖いなって思うんだよね」。藤田君が言う。「初演のときから、じっくり何年もかけて『cocoon』のことを考えていると、戦争に対するイメージの解像度も上がってきて。軍隊に対して看護を始めた女性たちって、3ヶ月のあいだ、いろんな暴力を見てるしかなかった状況にあったのだと思う。ただ――たとえばさ、猿渡の弟が小さい頃にやけどをしちゃったとき、猿渡は『ずっと呆然としてた』って言ってたけど、いきなり目の前で怪我をした人がいても、すぐに助けるって難しいと思うんだよね。それなのに、その人たちって、怪我した人を助けなきゃいけない状況に置かれたわけじゃん。そう考えると、『戦争当時の人たちの気持ちになる』みたいなことって、描けば描くほど無理だと思う。ただ、もう一方では、今この時代に起きている暴力とそれって何が違うんだろうってことも思うんだよね。そういうことを、今年はそれをずっと考えてる気がする」