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藤田貴大単独インタビュー#6 <最終回> 後半

――ツアーに出てから、出演者の皆さんに話をするときに、藤田さんは「ほんとうのこととしてやってほしい」ってことを口にする場面が多かったように思います。舞台で上演する“フィクション”を観客にどう届けるかを考える上で、「ほんとうのこと」という言葉にはどんな思いがこもっていたんでしょう?

藤田 今年の『cocoon』は、ほんとうに存在した誰かのこと、過去に書かれた誰かの手記の言葉を扱ったわけですけど、もちろんだからといってそれでいいわけじゃないことに気づいたんですよね。ほんとうの証言を基に、わたしたち演劇をやっています、みたいな態度をとってしまうと、途端に戦争エンターテインメントみたいになってしまうよな、と。キャストもスタッフも、書かれたテキストに満足しないで、自分たちなりに身体をつかって、ほんとうのことに向かってほしいなと思って。ただ、もう一方では「演じろ」ってこともキャストの皆にしつこく言いましたよね。ちゃんと、どうしてこう言動して、行動するのかを分析して、文脈をつくって演じていかないと、ほんとうのことがむしろ嘘っぽくなってしまう。

――動員された子たちはいわゆる軍国主義教育を受けていて、「お国のために」という言葉を聞かされながら育ったわけですけど、今の時代を生きているわたしたちはその感覚の中を生きていないから、その子たちの“ほんとうのこと”を舞台上で成立させようとすると、自分たちの常識のまま舞台に立つんじゃなくて、演じようとしないと駄目だ、と。

藤田 役を演じる生身の私が思っている“ほんとうのこと”をやっても、それはむしろ「戦争には反対です」ってことで落ち着いてしまう。1944年とか45年に10代だった人々は生まれたときからそういう教育をされていたのかもしれないと想像してみると、「この戦争は当たり前に、正しい」と思っていた人たちがいたはずだし、いよいよ自分たちが動員されるときにも、ある程度協力的な立場だった人たちがいたかもしれない。というか、いたはずで。じゃないと、ああはならない。ああいう集団は形成されないですよ。当時の“わたし”をやるためには、演じてかなきゃいけないと思うんですよね。だから、「ほんとうのこととしてやってほしい」と言ったときに、僕がちょっと期待してたのは、同時に「ほんとうのことなんてできないじゃん」と思ってほしくて。ほんとうのことなんて僕も知らないけど、「ほんとうのこととしてやってほしい」って言ってる意味はわかるよね、という問答が、今回のキャストの皆との関わり合いだった気がします。

――“ほんとうのこと”という話があったり、「演じて欲しい」って話があったりする一方で、ツアーの途中からは「ほんとうのことを演じた上で、最後の最後のところでは、それを演じている一人一人の声が聴きたい」って話もされてました。

藤田 どうしてそれが言えたかというと、「天皇陛下万歳と言って死んだ人はいなかった」と証言していた人がいたんです。そういう教育を受けているにもかかわらず、最後に口にするのは「お母さん」だったり家族のことだったりした――その言葉に大きなヒントがあるんじゃないか、と。『cocoon』ではサン以外の全てのキャストが、死ぬことを演じるわけですけど、例えば“しずる”みたいな子であっても、最後の最後の瞬間に思い浮かべるのは、「戦争」とか「天皇陛下」とかってことじゃなくて、それを演じる静流本人が想うことでいいんじゃないか、って。

――「鬼畜に傷つけられる前に」と手榴弾で自決する“しずる”のような子だからといって、死ぬ瞬間に思い浮かべるのは「お国のために」だとは限らない、と。

藤田 ただ、そこに関しては、僕の演出がどうこうっていうよりも、皆の身体の中でそういうことが自然と出来ていったのを感じましたね。ツアーの途中から、僕の手から大きく離れていった感じがあったんです。だからもう、気を抜いているところや曖昧なままやっているところに、少しツッコミを入れるくらいで、内容のことを改めて説教くさく語るのも嫌だし、ツアー後半は制作の古閑ちゃんと「皆のごはんに何をテイクアウトするか?」の話ばかりしてましたね。

――『cocoon』に先駆けて上演された『Light house』も、沖縄をモチーフとした作品で、そこでは“マブイ”という言葉が使われていました。これは沖縄の言葉で「魂」を意味する言葉で、「マブイを落とす」とか「マブイを拾う」といった言い方もあるし、亡くなったご先祖様とお盆やお正月に再会するという感覚が強く残ってもいます。『Light house』でそうした死生観を扱ったことが『cocoon』に影響したところはありますか?

藤田 『Light house』の那覇公演のときは、「マブイ」って言葉をひとこと言うにも、自分はそれを言う権利のある人間かどうか、まだわかっていなかったんです。僕の生活や日常の中で、実感のないものを描くのであれば、いたずらなものになってしまいそうだから、扱うにはすごくセンシティブな言葉だと思って。躊躇もしていたんですけど。ただ、『Light house』から発される「マブイ」という言葉を繰り返し、声として聴けば聴くほど、自分の身体の中に通っていった感覚があった。ほんとうの「マブイ」って意味よりも、僕の経験から想う「マブイ」って何のことだろうなってことを、実感に置き換えながら、あの期間考えることができたんです。「マブイ」を徐々に自分の文体に引き込めて、『Light house』のチャプター4・地下世界では、そこには拾われていないおびただしい数のマブイが沈んで彷徨っている、ということをやっと描けたんです。そのあたりの感覚をもっと『cocoon』では引き伸ばして、詳しくやりたかった。

――沖縄にはまだ拾われていないマブイが膨大にある、と。

藤田 沖縄に限らず、他の土地でも、解決してることなんて全然ないと思いますね。それなのに、時間は前へ前へとドライに進むだけで。解決していないことを抱えた人たち、過去に引っぱられ続けている人たちが、どこを見たってそこかしこにいるのに、政治も社会もとにかく時計を前に進めていくだけで。取り残されたものを、まるで全部忘れ去っていくじゃないですか。ただ、そんなシステムの中でも、「そうじゃなくて立ち止まろうよ」って言う人もいるんですよね。いるはずなんです。『cocoon』を上演するってこと自体も、マブイを拾いにいくようなことかもしれない。『Light house』で気づいた、前に進んでいくだけの時間を、いちど立ち止まってみないとどうしようもないよねってことを、『cocoon』では長い時間をかけて、それも具体的なモチーフの中で、詳しく取り組めたと思います。

――舞台の最後に語られるのは、今年も原作と同じく、「生きていくことにした」という言葉でした。今年の春にインタビューを収録したとき、その言葉について「上演を通じて考えたい」と話してましたけど、ツアーを終えた今ではどんなことを感じていますか?

藤田 その言葉についてはまだ考え中で、ずっと考えていくことなんだと思うんですけど、初演と再演のときは「戦争って時代のあとをどうして生きるのか?」ってことばかり考えていたんです。だけど、このコロナ禍で身近な人が自殺を選んだり、癌で亡くなった先生がいたりして。もう今この瞬間を見ないことを選んだ人もいるし、見れなくなった人もいる。今この世界を生きているってことは、なんとなくでも「見続ける」ってことを選んだから生きているんですよね。

――少なくとも劇場に足を運んだ時間の前後しばらくは、明確に意識していなかったとしても、「生きていくことにした」からそこにいるわけですよね。その一方で、劇中には「生きているほうが不思議だった」という言葉も出てきます。

藤田 自殺した人の気持ちを考えると、戦争なんかなくたって、生きていることのほうが不思議なのかもしれないとも思うんです。その中で、最後に「生きていくことにした」って言うんだけど、その言葉を青柳が言えるかどうか/どう言うかってことよりも、その回を観に来た何百人もの観客に「生きていくことにした」という言葉が届いて、その人たちの身体の中にどう浸透していくか。観客一人一人、その人自身の言葉になって、やがて意思になっていくか、という。そういう問題意識が、僕の中でこの10年間渦巻いていたんだな、って上演を見つめながら再確認できたんですよね。ツアーの後半はもう、舞台上で紡がれていく言葉がその空間にいる皆の身体の中でうまく通っていたから、あんまり僕の言葉とかじゃなくなった気がした。客席から観ていても、「これを観たあと、自分はうまく生きていくことができるのかな?」と打ちのめされていました。ああ、これが終わったら『cocoon』の後の世界を生きていくんだ、と。

――『cocoon』が千穐楽を迎えたのは9月23日で、その翌日に新千歳空港から飛行機に乗ってツアーは終わりを迎えました。今日は10月24日で、ちょうど1ヶ月経ったわけですけど、この1ヶ月はどんなふうに過ごしてましたか?

藤田 今年の10月は、どの季節より早かった気がします。あと、『cocoon』の東京公演が中止になったのが大きくて、その前の『Light house』の東京公演もだいぶ中止になっているから、マームとジプシーの経営状況がシンプルにまずいことになっているんですよね。たくさんの負債を抱えてしまって。何かリハーサルするにもキャストのスケジュールを抑えるだけでもお金が必要になるから、なるべく今は何もかも自分ひとりでやるしかなくて。こないだはちょっと京都に行ってましたね。

――京都に?

藤田 京都在住の方で、癌で余命を宣告されている人がいるんです。何年か前からマームの公演を観てくれていて、今年の『cocoon』も観てくれてたんですけど、その人に会いに行ったんですよね。その人に会いに行くためだけではなくて、そうじゃない理由もあるんですけど。

――そうじゃない理由。

藤田 『cocoon』に限らず、僕の劇の中では「生きていくことにした」に近い言葉を扱ってきたとおもんですよね。でも、さっきも話したように、過去に僕の作品の客席に座っていた人でも、自死を選んだ人がいる。死んでいった人たちにもう一回会えるなら、ほんと聞いてみたいんですよね。なんで死んだのか。最近はそのことばっか考えているんですよね。

――自ら死を選んだ人だけじゃなくて、会えなくなる人は少しずつ増えていきますよね。

藤田 それもあって、先日京都に行ったときには、これまで僕の作品にかかわってくれた80代の方にも何人か会ったんです。あの年代の人たちって――伊達公演を北海道のばあちゃんが観にきてくれて、そこで北海道のばあちゃんにも言われたんですけど――会いに行くたびに、口を揃えたように「もうこれで最後だから」って言うんです。そういうこと言わないでよと思うんですけど、誰かと会うとか、劇場で何かを観るってことが、そのあと何回も繰り返せることじゃないんだろうなと思うんですよね。そういう人たちの声を聴きたくて、コロナ禍で会いたくても会えていなかった人たちに、来月も会いに行こうと思っているんですけど。

――マームはずっと、かなりハイペースに作品を発表し続けてきました。次の公演が発表されていない状態で、こうして1ヶ月以上過ごしているのはかなり久しぶりですよね?

藤田 もう、10何年ぶりじゃないですかね? 昔はもう、自分の貯金が貯まらなかったら誰にもお金を払えなかったから、貯金が貯まるの待ちだったんです。

――ああ、公演に必要なお金を自分で貯めるまでは公演が打てなかったわけですね。

藤田 それまではただ本屋で働いて、本を読んで、音楽を聴いて、まだつくっていない作品の妄想をして――24、5のときはそういう時間を過ごしていたんですよね。そこからは具体的な公演ばかりやってきたけど、今はその頃に近い気持ちですね。時間だけはすごく余裕があるから、これもできる、あれもできると思えている時期でもあります。

――演劇というのは来年度、再来年度の予定まで決まっていると思うので、まだ発表されていないけど決まっている企画もあるんだと思います。ただ、それとは別に、こうしてゆったりした時間を過ごしているなかで考え始めている作品があるんだと思うんですよね。最後に、今この時間の中で思い描いている作品について伺えますか?

藤田 そう、それは話しておきたかったんです。沖縄という土地には10年かけて深くかかわることができたと思えているんですけど、それと同等のかかわりを別の土地でできるかどうかってことがテーマになってくる気がしていて。沖縄にかかわるきっかけになったのは『cocoon』で、今年は『Light house』を上演したあとに『cocoon』に取り組むって流れもあったけど、公演するからかかわるっていうんじゃなくて、それ以上の10年間になった実感があるんですよね。だから、劇場から公演やワークショップの依頼があったから、その土地に行くってことじゃなくて、自発的に「これが調べたい」って意識を持つことが重要だなと思っていて。それで京都に行ってみたのもあるんですけど、それがやがて作品になればいいと思っているから、ここ数年とは順番が逆なんです。もどかしいところもあるんですけど、純粋にまだ見ぬ作品づくりに取り組めてる感じがありますね。

――公演をするってことを一回外して、その土地とかかわる、と。

藤田 公演があるからなんぼだって意識が今は薄れていて、公演がなくても自分の中で走っているものがあるんです。だから、土地や場所から誰かと出会っていくことをやっていきたいな、と。

――京都も含めて、いくつか思い浮かべている土地があるんですか?

藤田 具体的に言うと、伊達とか室蘭に行こうと思っているんです。これまでにも『待ってた食卓、』とか、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』とか、『ヒダリメノヒダ』とか、夜3部作とか、何度も伊達を描いてきたんですけど、ああやって自分の体験を描くんじゃなくて、もうちょっと俯瞰した状態から「あの土地って何だったんだろう」ってことを考えたくて。そのとき、資料を調べることももちろん大切だと思うんですけど、もうちょっと別のアプローチを考えているんです。

――別のアプローチと言うと?

藤田 今年の『cocoon』は、映像チームの(召田)実子とマリス(宮田真理子)がかなり頑張ってくれたなと思っているんです。それは『Light house』のとき、環境演出としてかかわってくれた美術家の小金沢健人さんがマームの美意識みたいなものを一回解体してくれて、その経験があったってこともあるんだけど、実子は『Light house』に出演してて、一緒に観てきた風景があるなと思うんです。その上で、今回の『cocoon』の映像では、実子の視点で撮影された映像が――僕がどうとかってことじゃなくて、実子の視点がちゃんとあった上で撮影された映像で構成されていて、それはほんとにリスペクトに値するなと思うし、すごいところに到達しつつあるなと思ったんですよね。

――『Light house』と同じように、『cocoon』でも舞台奥のホリゾントに映像が映し出されていました。

藤田 それは「映像担当として必要な映像を撮った」ってだけじゃなくて、実子とマリスが沖縄とかかわったってことだと思うんですよね。ここ数年、マームは10周年イヤーがあったり、『てんとてん〜』も10周年を迎えたり、マームの中でいろんなことが、時間の経過も含めて畳まれていっている時期だというのもあるのかもしれないけど、このタイミングをもうちょっと有効活用するのであれば、誰かに任せっきりだったことを自分たちの作業に戻してみることもありうるんじゃないか、と。

――具体的に考え始めているアイディアもある?

藤田 隣りの部屋を見てもらえればよくわかると思うんですけど、最近は音にまつわるものを買い集めていて。これまではフィールドレコーディングを東(岳志)さんや(原田)郁子さんに任せてきたけど、自分たちでフィールドレコーディングをしてみて、その音源を楽器に絡ませながらなにか違う音を作れないかって実験をここ1ヶ月、地道にやっているんです。ミュージシャンになりたいわけではないんですけど、音に関する知識がもうちょっとあれば、ただ史実を掘り下げるってだけじゃなくて、表現としてその土地にかかわる術があるんじゃないかと思っているんですよね。だから次に発表する「新作」は、あらゆる作品の次の段階にあるものを発表したいなと思っています。

(聞き手・構成・写真 橋本倫史)

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